第13師団長官舎 その2 1階部分

次に建物の内部を見る。
この建物は和洋折衷であり、1階が洋式、2階が和式になっている。
今回は1階を紹介する。

第13師団長官官舎 (8)
玄関を内側から見る。

第13師団長官官舎 (7)
玄関入ってすぐ右にある従卒室。従卒とは世話係の兵隊さんである。

第13師団長官官舎 (29)
玄関入って左には男子応接室

第13師団長官官舎 (9)
読んで字の如く、男性の応接質なんだろう!

第13師団長官官舎 (10)
天井の模様と照明器具

第13師団長官官舎 (11)
男子応接の通路を挟んで向かいには書斎がある。

第13師団長官官舎 (14)
書斎の奥にはサンルームがある。

第13師団長官官舎 (13)
書斎から婦人応接室を見る。 婦人応接室は書斎と食堂の間にある。

第13師団長官官舎 (16)
食堂から婦人応接室を見る。 向う側に書斎が見える。

第13師団長官官舎 (15)
食堂

第13師団長官舎

上越市大町2丁目には、第13師団長官舎が移設保存されている。
この師団長官舎であるが、案内板には第3代師団長、長岡外史中将が明治43年に建てたと書かれている。
そこで疑問なのが、官舎と言うのは官が建てた物であり、そこにその役職の者が住むのではないのだろうか?
師団長が建てたのなら官舎でなく私邸なのでは?
元々は高田高校の西隣にあり、 平成3年までは自衛隊高田駐屯地の幹部宿舎として使われていたが、初代、2代師団長官舎があったこの場所に移設されたようである。
情報が少なくて詳細は不明だが、???な案内である、

第13師団長官官舎 (1)
道路から見る全景。

第13師団長官官舎 (2)
門柱

第13師団長官官舎 (6)
建物正面の様子

第13師団長官官舎 (5)
正面右から見る。

第13師団長官官舎 (30)
正面向かって左側面を見る。

第13師団長官官舎 (31)
背面を見る。本当は真後ろからの写真を撮りたかったが、逆光のため、この構図となった。

第13師団長官官舎 (3)
長岡師団長の胸像
この髭、当時はどうだったか知らないが、現在なら町中で知らない人がいない変わり者だろう!

第13師団長官官舎 (12)
官舎内にかざられていた写真。
さすがに胸像の髭は盛り過ぎだろ!と思ったが、Wikipediaの写真を見たら、「ホンマや!」と思わず呟いた・・・

第13師団長官官舎 (4)
前庭にある灯篭。官舎の物だと思うが、詳細不明。

第13師団長官舎の場所はこちら

野砲兵第19連隊、独立山砲兵第1連隊将校集会所

陸上自衛隊高田駐屯地は、独立山砲兵第1連隊兵営跡地にあり、将校集会所が残っている。
元は、野砲兵第19連隊の兵営だったが、第13師団廃止により連隊も廃止になり、その後、独立山砲兵第1連隊の兵営となった。
現在、将校集会所は郷土記念館と呼ばれる駐屯地の史料館となっている。
高田駐屯地のHPによると、郷土記念館は、明治41年に建設されたと書かれている。
数年前までは野砲兵連隊時代の砲廠が残っていたようだが、現在は取り壊されている。
郷土記念館は、歴史のある兵営跡地の史料館であるが、移設を含めた旧軍の遺構はほとんどなく、残念である。

高田駐屯地 (8)
将校集会所全景。
当日は高田駐屯地 創設68周年記念行事であり、出店のテキヤさんのトラックが停まっていて全体が見えない・・・
また、外観は当時と変わらないと思われるが、内外共に改修されており、オリジナル性は低い。

高田駐屯地 (13)
正面入り口

高田駐屯地 (10)
斜め前から正面入り口を見る。

高田駐屯地 (14)
トラックが映り込まないように撮ると、この構図。

高田駐屯地 (12)
窓はサッシ窓に変えられているが、窓枠の装飾は当時のままだろう。

高田駐屯地 (11)
正面向かって右正面

高田駐屯地 (15)
こちらは左側面

高田駐屯地 (7)
背後には渡り廊下でトイレに繋がっている。

高田駐屯地 (6)
トイレのアップ

高田駐屯地 (9)
郷土記念館の前には、砲廠の敷石が移設されている。

高田駐屯地 (2)
駐屯地内には当時の物と思われる立哨小屋が残っている。
この場所がオリジナルに場所かは不明

高田駐屯地 (3)
左側面を見る。
もしかして、門柱も当時の物だろうか?

高田駐屯地 (4)
右側面を見る。
状態は良くない。

高田駐屯地 (5)
これ、どう見ても当時の格納庫でしょ?
でも、違う様である・・・

高田駐屯地 (1)
これも当時の物だと言われれば、当時の物に見えるけど、違うと言えば違う・・・

野砲兵第19連隊、独立山砲兵第1連隊将校集会所の場所はこちら

【コラム】第13回 世界は狭くなる?

先日、新潟県上越市高田に行ってきたことは、ブログの記事にアップしているのでご存じだとは思いますが、高田にはずいぶん前から行きたかったのですが、行けませんでした。
陸上自衛隊高田駐屯地は野砲兵第19連隊(廃止後は独立山砲兵第1連隊)の跡地にあり、数年前までは砲廠が残っていましたが、残念ながら数年前、老朽化により取り壊されました。
以前のコラムにも書きましたが、見学は平日のみでなかなか予定が立たず、行けませんでしたが、先日は基地祭だったので行ってきました。
行かなかったのはタイミングが合わなかったのもあるのですが、遠いんですよ!
ところが今回調べると、意外と早く行けます。そう、北陸新幹線が開通して、近くに上越妙高駅が出来ていたのです。

私が子供のころ、東京~大阪間が3時間10分だったと記憶していますが、現在では2時間30分で、近い将来2時間になると思います。昭和初期の飛行機より速いのです!
まして、リニアモーターカーが開通したら、1時間ちょっとになります。

ここで、ある人の話を思い出しました。その人は私が子供の頃、近所に住んでいて家族付き合いをしていたのですが、かなり前に、その人が就職のため上京をした時の話を聞いたことがあります。

その人は昭和20年前半に長崎県の島原から東京に出てきました。はっきりとした年齢は判りませんが、10代後半か遅くても20代前半だったと思います。当時島原から東京までは特急を乗り継いでも一日以上(多分2泊)掛かったそうです。
距離は別として、時間だけで考えれば現在では、南米やアフリカに行くのと同じ程の時間です。
また、当時は通信手段も、電話はほとんど無く一番早い手段は電報だったと思います。

現在、海外で活躍している日本人は数多くいますが、約70年前に地方から東京に出てきた人の思いは、今海外に行く人達よりも遠い地に行く決意だったのでしょうし、明治期に徴兵されて入営する人は今世の別れの気持ちで旅立ったのではないでしょうか?

高田憲兵隊

高田駅近く、上越市本町には高田憲兵隊があった。
過去の文献を調べてみると、高田憲兵隊と高田憲兵分隊の記述がある。
高田憲兵隊本部及び同分隊との記述があることから、高田憲兵隊は師団支配下(今の警察で言えば、県警本部)で、高田憲兵分隊は高田憲兵隊支配下(所轄署)なのかと勝手に判断する。

高田憲兵地図
戦後、米軍によって作成された地図に記載されている。

高田憲兵隊 (4)
その付近に行くと古い塀があり、住人の方に聞くと憲兵隊の塀だと言われた。
ここが憲兵分隊だったと推測する。

高田憲兵隊 (3)
反対側の塀。個人宅なので内部は撮っていないが、このお宅を囲むようにコの字型に塀が残っている。

高田憲兵隊 (2)
更に、通りに面した場所にも古い塀が残っており、形状は同じであるが質が悪い。

高田憲兵隊 (1)
裏側を見る。形状から、当時の物だと思われ、こちらが憲兵隊本部だった可能性がある。

高田憲兵隊(憲兵分隊?)境界塀の場所はこちら
プロフィール

kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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