峯山海軍航空基地 その2

峯山航空基地には、いくつかのマンホールが残っている。
マンホールは、過去に陸軍の物は見た記憶があるが、海軍は初めてかも?(四角い止水弁の蓋はあるが)

峰山海軍航空隊 (1)
まず最初に紹介するのは、マイン近くにある、新町区公民館前に保存されているマンホール。

峰山海軍航空隊 (17)
格納庫の南西には暗渠があり、その暗渠にもマンホールがある。

峰山海軍航空隊 (16)
格納庫南西にあるマンホール

峰山海軍航空隊 (18)
暗渠の蓋にはアスファルトを被せていた様である。

峰山海軍航空隊 (24)
住宅地に残る暗渠にも、

峰山海軍航空隊 (23)
マンホールが残っている。

峰山海軍航空隊 (22)
峯空園に渡る橋も海軍時代の物である。

峰山海軍航空隊 (21)
マンホールをモニュメントとして飾られている。見難いが、暗渠の蓋が通路に使われている。

峰山海軍航空隊 (20)
マンホールのアップ

峯空園の場所はこちら

峯山海軍航空基地 その1

京都府京丹後市峰山には、海軍の飛行場があった。
これは河辺飛行場として造られ、昭和19年、第二美保海軍航空隊峯山分遣隊が開隊、練習航空隊の基地となった。
昭和20年2月、第二美保空の解隊にともない姫路海軍航空隊峯山分遣隊となり、3月、峯山海軍航空隊として独立。特攻要員の訓練を行い、終戦を迎える。
現在は飛行場としての面影は無いが、格納庫をはじめ、いくつかの遺構が残っている。特にマンホールは珍しく、一見の価値がある。
現在は峰山町となっているが、当時の呼び名であった、峯山海軍航空基地とした。
今回の峯山海軍航空基地を訪ねるにあたって、 峯山海軍航空隊飛行場跡のページさんを参考にした。
アクセスだが、公共交通機関で訪ねる場合は、京都丹後鉄道、峰山駅か京丹後大宮駅で下車し、バスで「マイン前」に向かうのが便利だろう。ただ、本数が少ないので要注意。

峰山海軍航空隊 (2)
そのマイン(大型ショッピングセンター)の近くには、弾薬庫がある。

峰山海軍航空隊 (4)
反対方向から見る。

峰山海軍航空隊 (5)
正面のアップ

峰山海軍航空隊 (6)
右背後から見る。

峰山海軍航空隊 (8)
さらに油脂庫もある。

峰山海軍航空隊 (7)
大きくて、全体を撮るのは難しい。

峰山海軍航空隊 (9)
背面の様子

峰山海軍航空隊 (10)
さらに、その先には格納庫がある。

峰山海軍航空隊 (11)
正面

峰山海軍航空隊 (12)
左側面

峰山海軍航空隊 (13)
背面

峰山海軍航空隊 (14)
付近にある、境界塀と言われるコンクリートの遺構。

峰山海軍航空隊 (15)
境界塀と格納庫の位置関係

峯山海軍航空基地、弾薬庫の場所はこちら、油脂庫の場所はこちら、格納庫の場所はこちら

舞鶴海軍水上機基地

京都府宮津市栗田には、舞鶴海軍水上機基地(舞鶴海軍航空隊)の門柱が残っている。
舞鶴海軍水上機基地は昭和10年に舞鶴航空隊開隊した水偵の実用機基地で、定数は6機であった。
舞鶴航空隊は昭和19年12月に解隊されたが、基地自体は終戦まで使用されていた。

舞鶴海軍航空隊 (8)
栗田と書いて、「くんだ」と読む。

舞鶴海軍航空隊 (1)
京都府立海洋高校の正門は、舞鶴海軍水上機基地(舞鶴海軍航空隊)の門柱である。

舞鶴海軍航空隊 (3)
右の門柱

舞鶴海軍航空隊 (4)
左の門柱

舞鶴海軍航空隊 (5)
門柱には塀を壊した跡が残っている。

舞鶴海軍航空隊 (6)
付近に残る、当時のエプロン

舞鶴海軍航空隊 (7)
当時のスリット

舞鶴海軍水上機基地門柱の場所はこちら

富高海軍航空基地

宮崎県日向市には富高海軍航空基地があった。
新人物往来社から発行された「旧軍史跡」の佐伯海軍航空隊の記事中には、「昭和5年に調印されたロンドン条約に対処するため、昭和6年に航空兵力の増強を計画し、日岡村(現大分市)や富高町を抑えて佐伯に飛行場建設が決定し、昭和9年に佐伯航空隊が誕生した。」と書かれているが、ネットで調べると昭和4年には飛行場建設が開始されていた様である。
ただ、訓練用の飛行場であり配備されていた機体は無かったが、昭和19年には築城航空隊の分遣隊として訓練部隊となった様で、戦争末期は特攻の中継基地として使われた。
現在は門柱と滑走路の一部が残されている。また、付近には電探基地用の発電機壕が残っている様だが、場所が特定できず訪ねられなかった。

富高海軍航空隊 (3)
富高中学校の正門は、富高飛行場の門柱を使っている。

富高海軍航空隊 (2)
右の門柱

富高海軍航空隊 (1)
左の門柱

富高海軍航空隊 (4)
レンガ塀は長手積みである。
さて、この門柱の場所は、塀があることから元々の場所に残っていると思われるが、門柱と滑走路の間には大きな川が流れている。なぜ、基地内を川で分裂するような配置にしたのかは疑問が残る。

富高海軍航空隊 (7)
川を渡った協和病院の敷地内には、「神風特別攻撃隊出撃之地」の碑がある。

富高海軍航空隊 (8)
「神風特別攻撃隊出撃之地」の碑の後方にある「爆弾ノ痕」

富高海軍航空隊 (6)
「神風特別攻撃隊出撃之地」の碑付近に残されている、滑走路のコンクリート。

富高海軍航空隊 (5)
門柱から滑走路跡に行く途中、日知屋小学校の敷地にあった転圧ローラー。当時の物かと思ったが・・・さすがに・・・

富高海軍航空基地門柱の場所はこちら

佐世保鎮守府武庫倉庫群

海上自衛隊佐世保造修補給所の立神西倉庫一帯には、鎮守府第一期工事の際に中央の兵器廠で製造した兵器類を受領・保管する「武庫」が置かれた。この地域には明治21年完成の弾庫、小銃庫から大正2年完成の弾丸庫まで、9棟の煉瓦造倉庫が残されており、大砲などの兵器類を保管していた。 (案内板より抜粋)
この倉庫群であるが、佐世保市役所HPに倣って、佐世保鎮守府武庫倉庫群とした。

忠告:同好の士が隣接する米軍基地内のレンガ倉庫をフェンス越しに撮影していたところ、米軍のSPに連行され取り調べを受けたそうなので、米軍基地内の撮影は止めた方が身のためである!

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (1)
佐世保鎮守府武庫倉庫群の全景(でもないけど)

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (2)
武庫弾庫 レンガ造2階建 明治21年建築 佐世保鎮守府が開庁と同時期に建てられた物である。

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (10)
武庫弾庫の全景

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (3)
武庫弾庫の東には、武庫小銃庫 レンガ造2階建 明治21年建築(写真、右手前)が、向うには水雷庫魚形水雷庫  レンガ造2階建 明治29年建築がある。  

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (8)
武庫弾丸庫 レンガ造2階建 明治36年建築

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (9)
武庫弾丸庫の全景

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (6)
海軍工廠第3弾丸庫 鉄骨レンガ造2階建 大正2年建築

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (7)
海軍工廠第3弾丸庫の全景

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (4)
海軍工廠大砲庫 鉄筋レンガ造2階建 明治43年建築

佐世保鎮守府武庫倉庫群 (5)
海軍工廠大砲庫の隣には、武庫大砲庫 レンガ造2階建 明治33年建築
更にその向うには、武庫預兵器庫 レンガ造2階建 明治32年建築 隣には武庫予備艦兵器庫が明治36年に増築された。

しかし、ここでなんと、まさかのデジカメのバッテリー切れ!!!
ジ・エンド・・・
前日、充電したんだけどなぁ~ 何か間違ったんだろうなぁ~


佐世保鎮守府武庫倉庫群の場所はこちら
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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