沖縄探訪

私のツイッターをご覧になられた方はご存知だろうが、年末に沖縄に行ってきた。
まず最初にお断りするのは、訪問したのは本ブログの趣旨である旧軍の遺構を探索することであり、慰霊のためではないということだ。
もちろん慰霊碑があれば手を合わせ頭を下げるが、慰霊碑を訪ねることを主とはしなかった。
また、沖縄には多くのガマ(石灰岩で形成された鍾乳洞)があり、住民の避難や野戦病院、司令部壕や陣地として使われたが、当初から水際陣地や拠点として手を加えられている物以外は訪ねていない。
今まで訪ねた遺構にも、爆撃や機銃掃射、事故等で尊い命が失われた場所があったが、沖縄は民間人を含めた地上戦が展開され多くの人の命が奪われた。その地を自分の趣味で訪ね歩くことに不愉快な思いをする方や、憤りを感じる方もいるだろう。
もちろん、それは理解しているが、今なお人知れず残っている遺構を紹介していきたいと思う。

都屋のトーチカ (3)

与那原町 (馬天)射堡指揮所 (2)

与那城監視哨 (7)

田原公園海軍壕 (7)

今回の沖縄訪問にあたり、「碧血の島」さんを参考にさせていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

別府海軍病院

別府市国立にある別府医療センターの前身は、別府海軍病院である。
別府医療センターの沿革を見ると、
大正14年 1月  亀川海軍病院として創設
昭和10年 4月  速見郡亀川町が別府市に編入されたため、別府海軍病院と名称変更
と書かれている。
小倉陸軍病院別府分院から遅れること14年、近くに大きな海軍基地の無い別府に海軍病院が建てられたのは湯治の効果が認められたからであろう。

別府海軍病院 (2)
JR亀川駅には、戦前の地図が展示されている。

別府海軍病院 (1)
海軍病院の記載もある。

別府海軍病院 (3)
海軍病院の写真もある。

別府海軍病院 (8)
門柱。詳細は不明だが当時の物ではないかと感じる。
上記写真の門柱よりは低いが、形状は似ていると思う。
ただ、背景の状態から正門の場所とは違うので裏門であろうか?

別府海軍病院 (9)
もう一方の門柱。

別府海軍病院 (10)
上部には御影石が使われている。これも、当時の物だと推測する理由である。

別府海軍病院 (12)
更にその近くには、通用門と思われる門柱がある。

別府海軍病院 (11)
門柱のアップ。

別府海軍病院 (5)
駐車場の一角にある建物。もしや?と思って確認すると、

別府海軍病院 (6)
表札に、財第118号 爆発性及引火性物品○○(納所)? 昭和6年11月と書かれていた。

別府海軍病院 (4)
奥行はあまりない。

別府海軍病院 (7)
これも、当時の物だと思うが、詳細不明

別府海軍病院 (13)
石碑。風化しているのと、学が無いのと、立ち止まっていたら蚊に刺されまくるのでゆっくり見れなかったが、伏見の宮殿下が関係している様であり、昭和5年3月建立

別府海軍病院 (16)
病院の敷地内にある職員専用駐車場は石造りの塀で囲まれており、門柱がある。
病院長官舎の門柱と塀ではないかと推測する。

別府海軍病院 (17)
内側から見る。

別府海軍病院 (18)
木戸だったのだろう、金具がそのまま残っている。

別府海軍病院 (14)
もう1つある門

別府海軍病院 (15)
草に覆われて見難いが、同じ形である。

爆発物及引火性物品納所の場所はこちら

小倉陸軍病院別府分院

JR別府駅近く、上田の湯町には小倉陸軍病院別府分院があった。
こちらのブログには、明治43年着工し、45年2月に開院したと書かれており、以前紹介した傷兵院が昭和11年開院であるので、それより25年も前に開院している。

小倉陸軍病院別府分院 (4)
上田の湯公民館横の坂には、

小倉陸軍病院別府分院 (5)
門柱が片方だけ残っている。

小倉陸軍病院別府分院 (6)
この石積みも当時の物だと思われる。

小倉陸軍病院別府分院 (7)
境界石も有るのでは?と探したが、この状態じゃ有っても分からない・・・

小倉陸軍病院別府分院 (2)
更に、九日天通りには通用門と思われる物が残っている。

小倉陸軍病院別府分院 (1)
正面から見る。小倉陸軍病院別府分院の遺構で間違いないと思うのだが・・・

小倉陸軍病院別府分院 (3)
右方向から見る。

小倉陸軍病院別府分院門柱の場所はこちら

佐伯海軍航空基地跡に残る門柱

以前、悲報 佐伯航空隊門柱が放置されている!として報告した 佐伯航空隊門柱を再度紹介する。
以前は、日本文理大付属高校の塀の一部として残っていた門柱であったが、道路拡張に伴い撤去された。
その門柱の所在は不明であったが、放置されているのを偶然に見付けた!

悲報 佐伯門柱 (1)
地下壕の入り口を見付け、それを撮ろうとしたら、そこに門柱はあった・・・
(学校関係者の方に許可を得て敷地に立ち入り撮影しています。必ず許可を得た上で立ち入り撮影した下さい。)

悲報 佐伯門柱 (2)
う~ん・・・もう少し丁寧に撤去できなかったのか?

悲報 佐伯門柱 (3)
門柱頂部が壊れてしまっている・・・

悲報 佐伯門柱 (4)
「佐伯市平和祈念館やわらぎ」で保存する話は有る様だが、いつまで放置されるのだろうか?

佐伯門柱もう片方
道路反対側に残るもう一つの門柱

もう一つの門柱の場所はこちら

佐伯海軍航空基地跡に残る指揮所

掩体壕の南には佐伯航空隊の指揮所と言われる建物が残っている。
詳細は不明だが、佐伯海軍航空隊が開隊した昭和9年頃に建てられた物だろう。

佐伯指揮所 (1)
掩体壕から来て、最初に見える風景

佐伯指揮所 (3)
左側面を見る。

佐伯指揮所 (2)
左後方。季節柄草が茂っており、裏には廻れず・・・

佐伯指揮所 (9)
正面から見る。

佐伯指揮所 (4)
右斜め前から見る。

佐伯指揮所 (5)
右側面

佐伯指揮所 (6)
内部の様子

佐伯指揮所 (7)
状態は悪い。

佐伯指揮所 (8)
床は崩れ落ちている。

佐伯指揮所 (11)
建物自体はコンクリート製なので、すぐに崩れることはなさそうだが、早めに対処しないといけないだろう。

佐伯指揮所 (10)
付近のコンクリート。当時の物だと思うのだが・・・
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、セロリをこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く異様に静電気を恐れる正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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