陸軍教導学校

第15師団廃止後、跡地は陸軍教導学校となった。
陸軍教導学校とは、「現役歩兵科下士ト為スベキ学生ヲ教育スル所」で「 学生ハ下士候補者タル現役歩兵科兵卒ニシテ所定ノ期間在營シタル者ヲ以テ之ニ充テ其ノ修業期間ハ概ネ一年」とされ、仙台、豊橋、熊本に設置された。
(アジア歴史資料センター、レファレンスコード A03021658400 参照)
昭和14年に陸軍予備士官学校が併設され、翌15年11月に教導学校は移転し、以後、この地は予備士官学校として使用された。今回、掲載している遺構は予備士官学校でも使用されているが、教導学校時代に造られている物なので、題名を「陸軍教導学校」とした。

大講堂 (2)昭和2年、教導学校創設時に建てられた大講堂は現在、第2体育館として使われている。

大講堂 (3)かな補修されているが、大講堂当時の姿を留めていると思われる。

大講堂
大講堂の前に植えられている、松の大木。何故か、階段が付いている。

養生舎養生舎
師団司令部の脇には、こちらも昭和2年に建てられた、養生舎がある。
しかし、この建物は、どこまでオリジナル度を保っているかは不明。実は今回訪ねるにあたって、この建物の情報を得ていなかった。ただ、窓の形が当時の物っぽかったので、とりあえず写真だを撮っておき、後から調べたら陸軍の遺構だった。
ところで、養生舎って何ですか?

塀、門柱田原街道に面した愛知大学敷地の西側には、豊橋鉄道「栄南駅」付近までコンクリの塀が残っている。


以下の記事は誤りが判明しましたので、こちらに変更しました。

塀、門柱 (2)この塀は、昭和初期に線路の拡張で作り変えた物らしく、教導学校の遺構であると言う。
こちらのサイトを参考にしました。)
ただし、この写真は兵器支廠の塀と思われる。

塀、門柱 (3)愛知大学の南に隣接する、南部中学校の敷地には門柱と、立哨小屋が残っている。
これは、豊橋兵器支廠の正門である。

塀、門柱 (4)
立哨小屋は、塀とほぼ同じ素材だと思われるので、一緒に造られた物ではないだろうか?

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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

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また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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