調布の高射砲陣地

調布飛行場の東方には、「どんぐり山」と呼ばれる高台があり、戦争末期にはここに高射部隊が置かれていた。
現在は「椎の実子供の家」と言う保育園になっている。
電話で見学をお願いしたところ「特に事前予約はいらないが、来園者名簿に個人情報を記載してもらう。見学時間は(保育園がやっている平日で)園児がお昼寝中の13:30~14:30の間のみ」と言われたが、保育園の都合もあるので、事前に問い合わせた方が無難だろう。
この地に展開していたのは、東部1903部隊調布隊の約190名であり、昭和18年9月から昭和20年4月末に富山県伏木港に移動するまでの約1年半、この地で任務に就いた。
東部1903部隊とは、防空第2連隊の事で昭和19年4月に高射砲112連隊と改称された。
こちらを参考にしました

調布高射砲1つ目の砲座
これは保育園の外、理事長宅の庭にある。
以前は6つの砲座が残っていたが、保育園の隣に老人ホームを建設する際に2つが消滅し、現在は4つの砲座が残っている。

調布高射砲  (2)ここには何故か砲弾がある。近くでは見てないのではっきりとは言えないが、かなり大きく、高射砲弾ではないと推測する。

調布高射砲  (3)2つ目の砲座。こちらも園外にある。

調布高射砲  (4)3つ目の砲座
これは園内にあり掲揚台として使われている。

調布高射砲  (7)現在、花壇として使われている部分は後付けと思っていたが、砲座の一部だと案内してくれた方が教えてくれた。砲側弾置場であろう。

調布高射砲  (5)
4つ目の砲座
以前、この保育園にはプラネタリウムがあり(現在は集会所として使っていると言っていた)
それをオブジェとして飾っている。この土台も砲床であるが、言われないと判らない。
さて、ここに装備されていた高射砲が何であるのか、御存知の方は御教授していただきたい。

調布高射砲  (6)
園内には記念碑がある。以前は多くの人が訪れていたが、最近は少ないと言っていた。
碑の裏には昭和20年2月17日の空襲で戦死された4人の軍人の名前が彫られている。
昭和56年建立

調布高射砲  (8)陣地付近からの風景。
戦争当時は、飛行場付近がよく見えたと思われる。

調布高射砲陣地の場所はここ
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No title

たしかに、どの書籍を見ても高射砲6門としかありませんね?
唯一憶測的にこのサイトがみつかりました。
http://g55-amg-long-gelandewagen.web.infoseek.co.jp/ikou_kantou3.html

実際に台座を見ると、正直単装25mm程度のサイズに見える物も有り、台座形状も同一では無いので、良く解らない物件ですね?

あの砲弾も以前は掲揚台の横に立っていた様な・・・・・?

調布第一か第二

調布第1が7cm4門、第2が8cm6門で、終戦時には7cmが伏木に遠征中のようです(復員省の資料、国会図書館JAM1J-R1)
終戦後の航空写真だと6門写っているので、8cmの可能性が高いと思われます。

部隊名は高射第1師団高射砲第112連隊第1大隊
調布第1が第4中隊、第2が第5中隊です。(同上)
調布には、電波標定機2型と並行誘導無線機があったようです(同上)

備砲と部隊名は高射戦史も同じです。

Googleの衛星写真にも写っていますね。すごい。

Re: No title

>>yakumoさん
明治期の砲台の様に、砲座の形である程度の種類が判れば良いのですけど・・・
とは言っても、高射砲の種類は限られていますね。

保育園も見学に好意的で良かったです。

Re: 調布第一か第二

>>fatherさん
砲座は6つらしいので8cmを使用した第2でしょうか?
でも、ここでは8cnを使い、富山に持って行ったのは7cmになりますが、こんな事ってあるのでしょうか?

7cm

もしかするとこの4門の7cmは有脚で、部隊の移動や展開がやりやすかったのかもしれません。
(7cmでも、資源節約の為に固定陣地のものはコンクリートもしくは木材による基礎を打ち、そこに直接設置するものがあります)
あくまで推測ですが。

Re: 7cm

>>fatherさん
高射砲の形状に詳しくないのですが、色々な形状が有るでしょうから、移動展開するのには7cmが適していたのでしょうか?
以前見た、アサヒグラフ(昭和25年頃だったでしょうか)に載っていた、小原台の高射砲は車輪のついた形状でした。

要地用と野戦用

一般の野砲などのように車輪や脚を持ち、移動後直ぐに展開可能なものと、大型のカノン砲や旧式の要塞砲のように砲床を作ってそこに設置する必要のあるものの2通りあります。高射砲は一般には前者なのですが、要地防空用のものについては、資源節約の為に車輪と脚を省き、コンクリートもしくは木製の砲床を建築し、そこに直接設置するようになります。7cm野戦高射砲で要地用に脚と車輪を外したものは、○特と呼ばれていたようです。8cm高射砲については、押収したオリジナルには車輪と脚とがついたものもあったのですが、初めから要地防空用として量産されたため、運搬用の機材は試作のみに終わりました。12cmは移動用の車輪はありますが、据付作業が必要で、そのままでは射撃できなかったようです。海軍の陸上の高角砲は全て脚と車輪はありませんでした。(海軍の持っていた7cm野戦高射砲は除く)
こうした要地用の火砲は、移動の際に別途分解・梱包したり、また砲床を作る必要があったため、野戦用の火砲よりも移動や展開に時間が多く必要でした。

ただ、この機動性の有無が伏木港への出張の選択理由かどうかはわかりません。

No title

 KANさん、お世話になっています。高射砲には詳しくないのですが、手元の情報を纏めてみました。
 現羽沢小学校の場所に大隊本部と兵営があり、その崖上(保育園)に第4中隊の陣地があった。砲は7糎6門。固定台座で、それぞれの周囲に直方体のコンクリート製掩体が各3基あった。
 6基の台座のうち南側の2基は土中に埋もれており、平成5年頃、1基は撤去され、もう1基は調査後埋め戻された。台座は直径3,1M、高さ(深さ)1,5Mの八角柱で無筋コンクリートであった。
 同陣地の東200M、現植物公園の正門西側には、後から第5中隊の陣地ができたが、戦後間もなく畑に戻されたため、何も現存しておらず、詳細は不明。
 なお、第4中隊は4月末に伏木港へ移動していますが、陣地が空きになった訳ではなく、終戦まで代わりの中隊(あるいは第4中隊の留守隊)が配置されたと思われます。5月中旬以降に、この陣地から砲が発射されるのが目撃されています。

Re: 要地用と野戦用

>>fatherさん
毎回、詳しい説明を頂きありがとうございます。
砲座もコンクリ製なら残っているのですが、木製や直置きなら場所は推定ですし、車輪付きなら尚更、どこに設置されていたか判りません。
伏木港に砲座が残っていれば良いのですが、そんな話は聞かないので無いのでしょうね。

明治期の砲台と違って資料も少なく、各地に展開していて、資料も少ないので全貌が判りません。

Re: No title

>>櫻井さん
櫻井さんの様な御高名な方が、この拙いブログにコメントいただき、身に余る光栄です。
今までの聞き取り調査で得た、貴重な情報を御教示くださり、ありがとうございます。
文献では得られない情報ですから特に貴重だと思います。

この地に駐留していた高射部隊の全てが、富山に行ってしまい、何もいなくなった訳ではないのですね。

高射砲陣地の場所が特定出来ても、住宅地になっていて遺構が残っていない場所が多い中、この遺構は貴重だと思いますので、末永く保存していただきたいです。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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Twitter始めました。@Kanreport0726

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