騎兵第4連隊の南、現在の近畿中央胸部疾患センターが建つ場所は、輜重兵第4連隊の衛戍地であった。
輜重兵第4大隊(当時)は、大阪城の南、法円坂町から昭和9年にここへ移転し、昭和11年に連隊となった。
今回も「
大日本者神國也さん」を参考にした。

近畿中央胸部疾患センター前に残る門柱。詳細は不明だが、移設されたと推測する。

隣接する金岡公園南西端にも門柱が残っているが、こちらは塀も残っている。

近畿中央胸部疾患センター内には、国旗掲揚塔と忠魂碑が残っている。

忠魂碑 柵で囲まれていて見難い。

この国旗掲揚塔は、輜重兵第4大隊出身者が、この地への転営記念で作った様である。

金岡公園の北西には、兵営の塀が残っている。

さらに塀の北側には、大阪陸軍病院金岡分院の忠魂碑がある。昭和16年9月建立
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はじめまして。ここの近所に住んでいました、というか跡地の中学校の卒業生です。
憲兵隊庁舎の跡地似できた幼稚園の卒園生でもあります。
中学校は不発弾がまれに敷地内から見つかってました。
後、体育倉庫に入り口の詰所らしいものが使われてましたが、上の写真にある同じデザインのものが近畿中央胸部疾患センター前の門柱脇にもあり、こちらは10数年前まで病院の守衛の詰所になっていました。
私が最初いた幼稚園の古い園舎は憲兵の宿舎っぽい建物でした(キリスト教系なのですが昔の礼拝堂は庁舎そのものでした。私の通っていた頃は礼拝堂はすでに建て替えられていました)。
>>よしくんさん
はじめまして。
学校施設は比較的多くの遺構が残っているのですが、このご時世ですので見学もままなりません。
出来る事なら、中学校の中を見学させてもらいたかったのです。
今は遺構も老朽化していて、近年でも多くが取り壊されています。
郷土の歴史として語り継いでください。
貴重な情報をありがとうございます。
遺構の保存がほとんどされていないのは残念です。
中学校の中は体育倉庫以外残っていなかったと記憶しています。
中学校を作る際にかなり徹底的に整地したらしく、校舎も体育館も1960年代の典型的な建物ばかりでした。
奥の警察学校との仕切りそばにも倉庫がありますがこれは私が入る10年ほど前の様式で明らかに開校後の新築でした。
基地時代の体育倉庫は道路拡張でなくなりました。
体育倉庫横に堺市駅南から引込線が入ってきていたそうです。
ただ、引込線が輜重隊時代からのものか、進駐軍が来てから新設されたのかは分かりません。
あと、金岡団地の場所が練兵場として使われていたとは知りませんでした。
戦後すぐに生まれた母の話では田んぼが広がっていたとのことで、GHQがなぜそのまま接収しなかったのかは分かりません。
>>よしくんさん
終戦直後は旧軍の施設は普通に有ったので、保存するって意識がなかったのでしょうね。
今残っている遺構でも、実際には使っていない物は、取り壊す予算が無いから残っているだけで、出来るなら取り壊したいのが実情の様です。
引き込み線ですが、輜重兵は輸送を担当しているので旧軍の物ではないでしょうか?
本当は市史等を調べて発表出来ればよいのですが、地元でないと難しいのが現状で、実際に跡地の事を知っている人の意見は大変貴重です。ありがとうございます。
初めまして。
阪和線関連でネットを辿っている際に此方に行き着きました。
私が記憶している、金岡連隊に関する遺構について記します。
自分が小学生~中学生の頃(今からおよそ45年程前)、塀が長尾中学から警察学校にかけて府道沿いに延々と残っていました。
当時は道からでも中を見渡せましたが、旧陸軍のものとおぼしき建物にはT・・・(・は数字)と黒枠内に記号が付されていました。
また、廃火葬場?が金岡公園の外れにありましたが、これを取り壊す際に新聞記事になりました。
その記事には、朝鮮戦争で戦死した米兵をここに運び込んだ、との記述があり、外観は旧陸軍の建物とは少し違っていたので進駐軍によってたてられたかもしれません。
この廃火葬場?辺りは当時自由に出入りできたので、近くにあった見張り用の高い櫓や旧陸軍の建物を間近で見ることができました。
また、亡き父からは、阪和線からの引込線は戦後に進駐軍の物資輸送のために敷かれた、現在府道が阪和線の上を跨いでいる付近から分岐していた、と聞いた記憶があります。
古い話なので記憶違いや事実と異なる思い違いがあるかもしれませんので、あくまで参考程度に留めておいて下さい。
長々と失礼致しました。
クタクタ500さん
はじめまして。
以前は普通には入れた場所も、時代の流れでしょうか?立ち入れなくなっているようです。
廃墟マニアが集まって問題になっている場所もあるようですし、なにか事故があったら責任問題にもなるので、この御時世では仕方ないのでしょうね・・・
貴重なお話、参考にさせていただきます。
また、お話を聞かせてください。
この度は、コメントいただきまして、ありがとうございました。