大正陸軍飛行場

昭和12年、初の民間防空機関「阪神航空協会」が設立され、翌年に民間パイロットや整備士養成のための「阪神飛行学校」が開校、滑走路、宿舎、工場格納庫などが建設され、翌年から大正飛行場と呼ばれた。
太平洋戦争開戦直前の昭和15年、軍に接収され、以後、近畿における陸軍航空隊の中心的存在となった。(別冊歴史読本 旧軍史跡を参照)

変換 ~ 大正飛行場遺構 (8)近鉄高安駅から東に1.5km、住宅地に残る畑の中に掩体壕がある。
(ここは私有地ですので、無断立ち入りはしないでください)

変換 ~ 大正飛行場遺構 (10)ちょうど土地所有者の方がいたので、立ち入り許可をいただく。
「この付近に3つの掩体壕があったが残っているのはこれだけ」「実際に飛行機を格納していない」とおっしゃっていた。

変換 ~ 大正飛行場遺構 (2)掩体壕を反対から見る。かなり寸詰まりに思えるが、実は・・・

変換 ~ 大正飛行場遺構 (4)
掩体壕の前半分が破壊されていて、残っているのは後ろ半分だけである。
この掩体壕であるが、天井部の断面を見ると、最初に基礎になる側面を作り、その後、前と後ろを分けて建造したのが判る。

変換 ~ 大正飛行場遺構 (9)壊した破片を使って土を盛り、畑としている。

変換 ~ 大正飛行場遺構 (6)これが掩体壕の前面である。

垣内掩体壕実は付近にもう一つの掩体壕の一部が住宅の基礎となっている。

変換 ~ 大正飛行場遺構 (7)大正中学の東にある公園には、航空廠通用門の一部が移設保管されている。
それにしても、他の保存方法はなかったのだろうか?

変換 ~ 大正飛行場遺構 (3)
通用門の文字が今もはっきりと読める。

変換 ~ 大正飛行場遺構 (5)説明板によると、門柱はこの場所に有った様だ。

変換 ~ 大正飛行場遺構地下鉄谷町線八尾南駅付近にも、格納庫の基礎と言われている遺構が残っている。

さて、この大正飛行場の遺構であるが、それぞれの遺構の場所が遠く、車ならば問題ないが、公共交通機関で訪ねるには交通の便が悪い。
幸いにして、それぞれの遺構の最寄り駅、近鉄高安駅 地下鉄八尾南駅にレンタサイクルがあるので、これを利用したほうが時間の節約になるかもしれない。
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プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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Twitter始めました。@Kanreport0726

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