調布陸軍飛行場

調布飛行場は、昭和13年に計画され、東京府、逓信省航空局、陸軍省の予算で、翌14年に着工、16年4月に滑走路、格納庫などが完成した。
当初は、国際予備飛行場、航空試験飛行場、陸軍訓練飛行場として共同使用する予定だったが、陸軍が全面的に使用する事になり、帝都防衛のため戦闘機部隊である144戦隊(昭和17年4月に244戦隊と改称)が配属された。(説明板から抜粋)
244戦隊は3式戦闘機「飛燕」を装備しており、後に本土防空戦で活躍してその名を広め、加藤隼戦闘隊で知られる64戦隊と並び、もっとも有名な日本陸軍戦闘機隊の一つとして知られている。

244戦隊及び、調布飛行場については、桜井隆氏のHP陸軍飛行第244戦隊 調布の空の勇士たちに詳しく紹介されているので、こちらを参照されたい。

調布 (11)東京調布飛行場の門柱が飛行場の東に残っている。

調布 (10)
門柱の表札をよく見ていただきたい。東京ではなく東東調布飛行場となっている。
心無い者が、京にイタズラをして東に変えたのだろう。

調布 (9)現在の滑走路。ここから飛燕が飛び立って行ったのかと思うだけで悦に入る。

調布 (8)時折、小型機が着陸して来る。

調布 (4)
この水路は、周辺からの水が飛行場内に浸入するのを防ぐのと、周壁を兼ねて造られた。
現在は滑走路北側に一部を残すだけである。

調布 (5)大沢第1掩体壕
調布飛行場の周りには4基の掩体壕が現存している。 

調布 (6)掩体壕の入口には板が張られていて、そこには飛燕の絵が描かれている。
掩体壕の造りは、海軍の方が良いと感じる。

調布 (7)大沢第2掩体壕
こちらは第1掩体壕の北にある大沢第2掩体壕。
こちらの写真を見て頂くと判るが、どう見ても飛燕はこの掩体壕には格納できそうもない。
これは、掩体壕の周りに土が敷かれて掩体壕が埋まっているのではないだろうか?

調布さらに飛行場の西にも掩体壕が残っている。

調布 (3)飛行場の西にはもう一基残っているが、現在は工場の一部として利用されている。

調布 (2)工場の近くにはコンクリの塊が落ちていた。工場の一部として利用する際に破壊された掩体壕の破片ではないだろうか?

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ご苦労様です

自分がここを訪れたときに、工場の方に話をし、中を見せて頂きました。
その方によると、国道脇の掩体壕も自分の物だが使わないので、市に寄付した。
この工場のそばにもう一基数年前まで在ったが重機三台で、壊すのに一週間かかったと、聞いた事が有ります。
この時の破片かも知れませんね?

ご存知かもしれませんが、近くの「椎の実子供の家保育園」には高射砲台座が4基と慰霊碑が有ります。
また、道を挟んだ野川公園のサービスセンターには、飛燕のプロペラ等が展示されています。

Re:ご苦労様です

>yakumoさん
工場は声を掛けたけど、誰もいない様だったので諦めました。
付近にはまだ掩体壕が有って取り壊していたのですね!

サービスセンターは門柱近くのプレハブに移っていてプロペラは見る事が出来ませんでした。近く、新しくなると思います。

高射砲座は近々公開しますのでお待ち下さい。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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