富高海軍航空基地

宮崎県日向市には富高海軍航空基地があった。
新人物往来社から発行された「旧軍史跡」の佐伯海軍航空隊の記事中には、「昭和5年に調印されたロンドン条約に対処するため、昭和6年に航空兵力の増強を計画し、日岡村(現大分市)や富高町を抑えて佐伯に飛行場建設が決定し、昭和9年に佐伯航空隊が誕生した。」と書かれているが、ネットで調べると昭和4年には飛行場建設が開始されていた様である。
ただ、訓練用の飛行場であり配備されていた機体は無かったが、昭和19年には築城航空隊の分遣隊として訓練部隊となった様で、戦争末期は特攻の中継基地として使われた。
現在は門柱と滑走路の一部が残されている。また、付近には電探基地用の発電機壕が残っている様だが、場所が特定できず訪ねられなかった。

富高海軍航空隊 (3)
富高中学校の正門は、富高飛行場の門柱を使っている。

富高海軍航空隊 (2)
右の門柱

富高海軍航空隊 (1)
左の門柱

富高海軍航空隊 (4)
レンガ塀は長手積みである。
さて、この門柱の場所は、塀があることから元々の場所に残っていると思われるが、門柱と滑走路の間には大きな川が流れている。なぜ、基地内を川で分裂するような配置にしたのかは疑問が残る。

富高海軍航空隊 (7)
川を渡った協和病院の敷地内には、「神風特別攻撃隊出撃之地」の碑がある。

富高海軍航空隊 (8)
「神風特別攻撃隊出撃之地」の碑の後方にある「爆弾ノ痕」

富高海軍航空隊 (6)
「神風特別攻撃隊出撃之地」の碑付近に残されている、滑走路のコンクリート。

富高海軍航空隊 (5)
門柱から滑走路跡に行く途中、日知屋小学校の敷地にあった転圧ローラー。当時の物かと思ったが・・・さすがに・・・

富高海軍航空基地門柱の場所はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、焼き魚(特に、タチウオ、エボダイ、ニシン)をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。


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