騎兵第13連隊

東邦大学習志野キャンパスは騎兵第13連隊跡地に建てられており、いくつかの遺構が残っている。
騎兵第13連隊は騎兵第14連隊と共に習志野で編成され、騎兵第1旅団の隷下として、明治34年12月軍旗を親受する。
日露戦争では、5月遼東半島塩大澳に上陸第2軍に属して曲家店、沈旦堡等の戦闘においてコザック騎兵と交戦、奉天戦においては大勝の基となり、更に長駆奉天北方に進出して敵軍主力の側背に迫り露軍を敗退させる要因となった。
満洲事変勃発するや昭和7年6月出動。泥濘悪路を克服してその機動力を発揮し馬占山討伐を始め東辺道討伐、乾元鎮の攻略等全満各地の作戦に活躍。翌昭和8年2月海拉爾に進駐対ソ戦に備える。
日中戦争においては、昭和13年8月より北支に出動。新黄河北方地域で活躍し、以後、各種の作戦警備に就く。
昭和14年10月、騎兵機械化施策の一環として自動車編制に改編され、昭和17年10月に戦車第3師団の創設に伴い、機動歩兵第3聯隊となり、軍旗を奉還 40余年の栄ある歴史に幕を閉じた。

騎兵第13連隊 (1)
キャンパス内に残る稲荷神社。奥に武道場が見える。

騎兵第13連隊 (3)
正面から見る。

騎兵第13連隊 (2)
手水台には、大正7年度除隊記念と彫られている。

騎兵第13連隊 (4)
お稲荷さん(と言っていいのか?)の台座にも、大正5年度除隊の文字が見える。

騎兵第13連隊 (5)
一か所に集められている柵にも、大正9年度除隊記念の文字が見える。

騎兵第13連隊 (6)
騎兵第13連隊跡の碑
近くにある説明版には、昭和7年建立と書かれているが疑問がある。
ウィキペディアを参照すると、
昭和7年、 満州事変出動時には戦時編制を整備。連隊は留守隊として1中隊を内地に残し出動。
昭和9年、 満州常駐部隊となり留守隊は廃止。
とある。昭和7年の時点で連隊はまだ、この地を衛戍地としているのに、跡地の碑を建てるとは思えないのだが。

騎兵第13連隊 (8)
軍人勅諭御下賜50周年記念碑、昭和7年4月24日建立
碑は五角柱で、各面に「忠節」「礼儀」「武勇」「信義」「質素」の5つの教えが彫られている。

騎兵第13連隊 (7)
台座には、「勅諭拝受50周年を迎え感激に堪えず。茲(ここ)に碑を建て、5箇條の聖訓を刻して永久に記念す」と彫られている。

騎兵第13連隊 (10)
武道場 現在も柔道場、空手道場として使われているようだ。

騎兵第13連隊 (9)
反対側から見る。

騎兵第13連隊武道場の場所はこちら
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No title

いつも興味深く読ませていただき本当にありがとうございます。
宮城県にもいらしてください、ぜひお待ち申し上げております。

Re: No title

>宮城県民さん
拙ブログを御覧くださりありがとうございます。
仙台は師団所在地でもあったので行きたいのですが、ついつい後回しになっております。
冬は積雪が有るかと敬遠していたら、なかなか機会に恵まれません…
宮城の遺構について御教示して頂ければ幸いです。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、焼き魚(特に、タチウオ、エボダイ、ニシン)をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。


紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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