明治海軍航空基地 その1

愛知県安城市には、明治海軍航空基地があった。
何故、明治基地かと言うと、以前この地は、愛知県碧海郡明治村だったからである。
明治航空基地は、昭和18年4月に建設が始められ、翌昭和19年5月、未完成ながら使用され始め、最終的には6本の滑走路を持つ飛行場となった。同年9月には210航空隊が開隊、この航空隊は搭乗員の錬成飛行隊だったが、本土空襲が始まると迎撃任務を行うようになり、昭和20年3月には鹿児島に移動した。(案内板から抜粋)

現在、飛行場跡地には燃弾庫や非常発電機壕、弾薬庫、防空壕が残っている。
さて、燃弾庫とはどんな物だろうか?もちろん、燃料と弾薬は一緒に保管しないだろうから、燃料庫としても弾薬庫としても使える、倉庫壕であると判断する。

明治空その1 (1)
老人ホーム ひがしばた の敷地内に残されしっかりと管理されている。現在、燃弾庫と言われる遺構は3か所確認しており(あくまでも私が)、便宜上これを北側燃弾庫と呼ぶ。

明治空その1 (8)
入り口に残る何かのフック

明治空その1 (5)
内部の様子。状態は良い。

明治空その1 (6)
壕の上部には、そのまま土が残っている。

明治空その1 (7)
下部には、今までよく見られたように板の跡が残っているが、上部にはない。これは、板で基礎部分だけ固めて、上部は土を盛り付け、直接コンクリートを貼り、固まったら内部の土を取り除いたからだと考える。
過去には、筵の跡が残る掩体壕を見たことがあるが、土がそのまま残っているのは記憶がない。

明治空その1 (2)
横から見る。現在は埋まった状態であるが、過去の写真を見ると、埋め直したものと思われる。

明治空その1 (9)
周りには生け垣が作られ、大切に管理されているのが分かるが、全体像が見えなくなり、些か有難迷惑である・・・

明治空その1 (4)
八剱神社前にある公園の一角には、殉国戦士之碑と義勇奉公の碑がある。
義勇奉公の碑は日清日露戦争に従軍(戦死?)者の碑であり、明治41年9月建立。
殉国戦士之碑は昭和29年2月建立である。
なお、八剱神社内には、明治航空基地之碑があるようだが、この碑と勘違いして訪ねていない・・・

明治海軍航空隊北側燃弾庫の場所はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

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また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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