百里原海軍航空基地門柱

航空自衛隊百里基地は、海軍の百里原航空基地跡を使っており、周辺には僅かであるが、遺構が残っている。
百里原航空基地は昭和13年、筑波海軍航空隊の補助飛行場として建設され、筑波航空隊の分遣隊として昭和13年12月、百里原航空隊が開隊し、練習航空隊としての任に就き、1年後の14年12月に独立した。

昭和18年、爆撃機・攻撃機の慣熟訓練を兼任するようになり、基地の機能が増強、戦争末期になると特攻隊も編成されたが、終戦により解隊、飛行場は開拓された。

しかし、航空自衛隊の基地として再び使用することとなり、紆余曲折の末、昭和41年、航空自衛隊百里基地として開隊した。
この際、基地反対の地主が土地を売らなかったために、誘導路(タキシーウェイ)が曲がっている。
余談ではあるが、初めて偵察衛星からの写真を見たソビエトの情報担当者が、なぜ、この誘導路は曲がっているのか?何のために曲がっているのか?を考えたが分からなかった。
その後、曲がっている理由を知った時「そんなバカな・・・」と絶句したようである。

百里原門柱 (1)
まずは門柱を紹介する。奥には真心國柱の碑がある。

百里原門柱 (4)
詳細は不明だが、左(手前)の門柱はオリジナルに場所にあり、袖門と思われる。奥の門柱は移設だろう。

百里原門柱 (3)
奥の門。表札がオリジナルの場所にあると思われる袖門の反対側を向いている。

百里原門柱 (2)
奥の門柱を見ると、境界塀の跡が見える。これは、正面向かって右側の門柱だったのでは?

百里原門柱 (5)
境界塀。支柱は当時の物と思われるが詳細は不明。

百里原門柱 (6)
門柱の近くにある百里神社の石碑

百里原門柱 (7)
鳥居

百里原門柱 (8)
祠 

百里原海軍航空基地門柱の場所はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

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また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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