江田島海軍水道

海軍兵学校付近には兵学校で使用するための水源が残っている。
海軍兵学校は、明治21年、東京築地から江田島に移転した。
当初生徒は表桟橋に係留された学習船「東京丸」で起居していたが、明治26年に赤レンガの生徒館が完成した。
19年10月 海軍兵学校移転のため本浦(現在地)に着工
21年4月  物理講堂、水雷講堂、運用講堂、重砲台、官舎、文庫館(現水交館)、柔道場など落成
21年8月  海軍兵学校、東京築地から移転
21年6月  学習船(東京丸)内で開校
24年6月  生徒館(赤レンガ:Jダイアック設計)の新築着工
26年3月  生徒館(現幹部候補生学校校舎)、事務所、兵舎、物品格納所等が落成
26年6月  学習船(東京丸)から新設生徒館へ移転
海上自衛隊第1術科学校HP から抜粋)
現在の奥小路浄水場は明治27年頃造られた様だが、当時は小規模であった。
大正末期に現在のダムが建設され、現在も使われている。

江田島海軍水道 (2)
兵学校からほど近い中央3丁目には、海軍井戸と言われる井戸が残っている。ここで組み上げた水を、学習船「東京丸」に送っていた様だ。場所は多分、ここ

江田島海軍水道 (3)
奥小路浄水場は、古鷹山登山口からすぐのところにある。

江田島海軍水道 (4)
レンガ建築物。ポンプ室と思われる。

江田島海軍水道 (5)
別の角度から見る。

江田島海軍水道
沈殿池だろうか?

江田島海軍水道 (6)
大正末期(12年)に造られた石造りのダム。残念ながら、よく見えない・・・
詳しくは、こちらのブログをご覧あれ。

奥小路浄水場の場所はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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