都城連隊本部庁舎

陸上自衛隊都城駐屯地は、陸軍の衛戍地を使用している。
都城は明治42年11月、歩兵第64連隊が衛戍地としたが、大正14年5月、軍縮により連隊は廃止された。
歩兵第64連隊が都城にいた時の活動は、いくつかの書籍で探したが残念ながら不明である。
代わりに熊本から歩兵第23連隊が移駐してきた。
昭和3年4月、済南事変のために都城を出発、師団主力が済南城を攻撃中は南西地区で中国軍を撃破、居留民を保護し、同年9月に凱旋した。
満州事変では、昭和7年12月に派遣の命を受け、通化の警備を行い、熱河作戦のため昭和8年2月に通遼に集結。零下40度の極寒の中、戦闘を続け、玉田、林南倉に進出した。停戦協定後は治安維持にあたり、10月に凱旋した。
昭和12年、日中戦争勃発により、8月門司を出発し河北省に到着、板橋村付近に進出し中国軍を撃破した。
その後、連隊は中支作戦のために石家荘を出発し、上海周辺にいる中国軍の背後に進出し、敗退する中国軍を補足し打撃を与えた。
11月、南京攻略戦のために転進を開始、12月には南京城内に進攻し清涼山を占領。以後、次の作戦準備のため蕪湖に進出した。
昭和13年、武漢攻略戦が開始され、2月に蕪湖を出発、揚子江北岸の中国軍を撃破しつつ、8月に黄塩に進出。武漢攻略の態勢の整った師団は10月14日、漢口に攻撃開始、連隊は師団の先頭として進攻し全軍に先駆けて10月26日攻略した。
昭和14年は南昌作戦に参加、作戦終了後は警備の任に就いた。
昭和16年は、1月から陸水作戦、8月からは第1次長沙作戦、12月からは第2次長沙作戦に従事した。
昭和17年12月、連隊は南方転進のため上海に集結し、補充兵を迎え装備を一新した。
中国大陸では4年余りの内に8度の感状を授与された。
年の瀬も押し迫った12月21日、上海を出発、ソロモンに向かう。途中、行き先がブーゲンビル島に決定し、昭和18年1月21日に上陸する。
同年11月、米軍が上陸を開始、ただちに攻撃を開始したが、優勢なる敵に甚大なる被害を受け、攻撃は失敗し終わった。
昭和20年3月、第2次タロキナ作戦では善戦するも、連隊は戦線を離脱、米軍と入れ替わった豪軍と会戦するも、壊滅的となり、終戦を迎える。(わが連隊、ノーベル書房より抜粋)

都城連隊本部 (7)
連隊本部。都城市公式HPには、明治41年11月から連隊本部とした、と書かれている。

都城連隊本部 (8)
正面のアップ。菊の御紋がある。菊の御紋が残っているのは青森に残る歩兵第5連隊本部とここくらいではないだろうか?また、営門が移設されている。

都城連隊本部 (2)
門柱のアップ。駐屯地の営門として最近まで使われていたが、道路拡張により現在地に移設されたらしい。

都城連隊本部 (11)
正面、向かって左から見る。

都城連隊本部 (9)
こちらは右から。

都城連隊本部 (10)
裏の様子。

都城連隊本部 (3)
コンクリート製の境界石、陸軍所轄と書かれている。所轄地かと思ったが、所轄だけの様だ。
もちろん移設である。

都城連隊本部 (4)
もう一つの境界石。こちらも陸軍所轄だと思われる。コンクリート製なので、初期の物ではないと推測する。
また、どこにあった物かは不明。

都城連隊本部 (5)
本部前にあるイチョウの大木。旧軍時代からあると言う。

都城連隊本部 (13)
御手植ノ松の碑 大正9年3月27日、昭和天皇が皇太子時代に植えた松の碑を、軍人勅諭下賜50周年記念として、昭和7年に建立された。

都城連隊本部 (6)
内部の様子。現在は史料館として使われている。

都城連隊本部 (12)
連隊長室前にある、消火栓の扉

都城連隊本部
扉の内側には、昭和12年7月7日 満期2日なり 蚊に喰われつつ 軍旗を守る との落書きが残っている。
昭和12年7月7日と言えば、盧溝橋事件が発生した日であり、ここから泥沼の様な長期戦が始まった。
この落書きを書いた兵士も、一度は満期除隊になったが、再応召され軍務に就いた事だろう。

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No title

菊花紋が建物に備え付けられている状態であるって凄いですね。

その紋が敵国からの辱めを受けないために
隊員が意図して外した。。。というケースも
聞いたことがあります。

それだけに感慨深いです。

Re: No title

> HAKUSYUさん
復元だとは思いますが、よくぞ!と思います。
なかには悪く言う団体もいそうですが…
青森、都城以外にも残っているんですかね?

No title

> kanさん

 菊花紋が備え付けられているのを僕は見たことがないです。
 豊橋の第15師団司令部庁舎には、菊花紋を
 備え付けるための台座はありました。

 これ、レプリカなんですかね?

 振武台記念館に、皇族舎として使用していた時の
 菊花紋が展示されていましたけど、当然撮影禁止でした。
 (建物の中が撮影禁止なんですが)

Re: No title

> HAKUSYUさん
多分、レプリカだと思います。少なくとも、占領下では菊の御紋は御法度だったと思うので、取り外したと思いますし、
その御紋はかくされていたのでしょう。
しかも、現在は当時の貴重な御紋をわざわざ風雪に晒すことはしないと思います。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、ニシンの塩焼きをこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

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また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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