木脇陸軍飛行場跡地に残る監視壕

宮崎県東諸県郡国富町にはかつて陸軍の飛行場があり、太刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊が置かれていた。
この地には、飛行第4連隊により、補助着陸場が設置された。建設に当たっては、地元在郷軍人(青年団、消防団)約150人が、5日間奉仕作業し、臨時滑走路約700mが完成。
大正15年12月24日、一番機が着陸、翌25日も予定があったが大正天皇の崩御のために中止。
このことが、飛行場建設のきっかけになったとも言われている。
昭和17年4月、飛行場建設計画地として陸軍省で決定され、同年5月28日測量開始、6月には建設工事着手、昭和18年11月、大刀洗陸軍飛行学校・木脇教育隊訓練場として、約1200mの滑走路2本が完成。
同年11月21日、一番機が着陸、複葉機による勇猛果敢な操縦訓練が連日開始された。
昭和20年5月24日戦況の悪化、再三の空襲により、操縦訓練場の機能を失したため、鳥取飛行場に全隊員が移動し、ここに木脇教育隊操縦訓練場が閉鎖された。
記録によれば木脇教育隊への教育入隊は次の通り。
•第1期生 昭和18年11月20日 見習士官…149名入隊
•第2期生 昭和19年3月25日 乙種少年飛行兵…198名入隊
•第3期生 昭和19年8月2日 特別幹部候補生…150名入隊
国富町HPから抜粋

木脇記念碑
大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊記念碑

木脇① (2)
木脇飛行場跡にはトーチカと言われる遺構が4つ残っている。
説明の便宜上、記念碑を起点として時計回りに紹介していく。
1つ目の遺構。これは鎖で囲まれており説明板がある。ほとんど埋まってしまっているが、出入り口がわずかに見えるのが、お判りだろうか?

木脇① (3)
銃眼(監視窓)のアップ。確かに、ここを見るとトーチカっぽいが・・・

木脇①
滑走路の正確な位置は分からないが、地形的にこの方向にあったであろう。
非常に見難いが、出入り口がこちら側にあるのが見える。

木脇②
2つ目の遺構。1つ目の遺構がある方向から見る。

木脇② (2)
これも外側に出入り口がある。

木脇③
3つ目の遺構

木脇③ (2)
出入り口は埋まってしまっているが、これも外側にあるだろう。

木脇④
4つ目の遺構。これは、滑走路の東側エンド付近にあったと思われ、写真奥から左方向に滑走路が延びていたのだろう。
これも出入り口が見えており、外側に設けられている。
何が言いたいのか、もうお判りだろう。これらの遺構は飛行場防衛のためのトーチカと言われているが、出入り口が外側に設けられ、銃眼が滑走路方向に向いているのだ。以上の事から、これらは飛行訓練を監視する壕であると判断する。

木脇弾薬庫 (3)
記念碑の近くには弾薬庫と言われる遺構もある。

木脇弾薬庫 (2)
正面から見る。

木脇弾薬庫
内部の様子。棚が設けられている。

木脇教育隊記念碑の場所はこちら
(今回は地図表示にすると小さい地図しか表示されないので、航空写真表示にしました。これの方が見やすいです。)
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No title

弾薬庫と比較すると、監視壕周辺の土地が
埋められた感がないですね。

監視壕用に穴を掘って、監視壕を埋めたようなイメージでしょうか?

Re: Re: No title

> HAKUSYUさん
>監視壕は弾薬庫よりも一段高い位置にあります。
農地にする際、多少の土盛りした可能性も有ります。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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