浜松兵営跡地 その1

静岡大学浜松キャンパスは、浜松兵営跡地に作られている。
浜松には、日露戦争後の軍拡により、明治41年3月、歩兵第67連隊が衛戍地としたが、大正14年5月に軍縮により廃止される。その間には、第1次世界大戦で、青島要塞攻囲戦に参加しているが、その他の功績は不明である。
連隊廃止後は、豊橋から歩兵第18連隊第3大隊が移駐してきたが、昭和5年、高射砲第1連隊が豊橋から移転してきた。これは、近くに飛行場があり共同訓練が容易だったためと言われる。
昭和7年、上海事変に出動するも対空射撃の機会なく、対地射撃を一部実施して引き上げる。
翌昭和8年、満州事変では第2大隊を派遣した。
その後、日中戦争でも出動するも、詳細は不明。
昭和17年7月、高射砲第1連隊補充隊に改称・改編され、以後は補充隊業務を担当する。
(日本陸軍兵科連隊:新人物往来社、参考)

浜松兵営その1 (5)
北側にある門柱

浜松兵営その1 (7)
元々、門柱が2本しか無かったのか、袖門を撤去したのかは不明だが、兵営の北側には練兵場があったので、練兵場への門であったと推測する。

浜松兵営その1
門柱のアップ

浜松兵営その1 (3)
表札を掛けるフックが残っている。

浜松兵営その1 (4)
内側から見る。

浜松兵営その1 (9)
北東にある門柱

浜松兵営その1 (2)
最初は将校集会所の門かとも思ったのだが、当時の配置図が無いために不明。

浜松兵営その1 (10)
南側にある門柱。現在は土堤の一部となっている。

浜松兵営その1 (6)
内側から見る。

浜松兵営その1 (8)
モルタルが剥げて、中のレンガが見える。

浜松兵営土堤 (2)
当時の物と言われている、兵営を囲む土堤。

浜松兵営土堤
内側から見る。

浜松連隊兵営の場所はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

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