飛行第7連隊(戦隊)将校集会所門柱

浜松市北区三幸町には飛行第7連隊(戦隊)将校集会所の門柱が仮設されている。
飛行第7連隊は大正14年5月、陸軍初の爆撃隊として立川で編成され、翌年10月に浜松に移転し、昭和5年に連隊の編成(重爆中隊2、軽爆中隊2)が完了した。
昭和6年に勃発した満州事変には、重爆、軽爆各1個中隊を動員、日本陸軍重爆の初陣を飾った。
昭和12年、日中戦争勃発には、重爆大隊1個、重爆中隊1個、軽爆中隊2個を出動させた。
また、連隊には練習部があり、爆撃に関する教育が行われていたが、昭和13年、浜松飛行学校が作られ、教育はこちらで行われるようになった。
昭和13年8月、連隊は空地分離により、戦隊となり重爆1個中隊、軽爆1個中隊編成に、昭和15年には重爆3個中隊編成となった。
昭和16年8月、満州公主嶺に転進し、昭和17年9月、南方転用によりジャワに転進、付近の紹介や爆撃に従事した。
昭和18年7月、ニューギニアに転用され、昭和19年1月内地帰還まで健闘した。
内地帰還後は、4式重爆に換装し海軍の指揮下で雷撃訓練を行い、11月、比島方面で米軍艦船に雷撃を敢行、その後はサイパン攻撃に従事した。
昭和20年3月~6月、沖縄方面にて米機動部隊に雷撃を行う。その後は海軍の指揮下から離れ、各中隊を分散、訓練中に終戦を迎え、陸軍初の爆撃飛行隊の歴史に幕を閉じた。(陸軍重爆隊、伊澤 保穂著より抜粋)
今回、この門柱を訪ねるにあたって、「第七連隊の門を守る会」会長の仲井様、ブログ「mayonaka fujita の まよなかのひとりごと」の藤田様には、大変お世話になりました。お礼申し上げます。 
さて、この門柱がここに置かれているいきさつは、こちらに書かれている。

飛行7連隊将校集会所門柱
門柱は、空き地の一角に仮設されている。

飛行7連隊将校集会所門柱 (3)
右の門柱。表札が掛っていた跡がある。

飛行7連隊将校集会所門柱 (4)
左の門柱

飛行7連隊将校集会所門柱 (5)
門柱の前には、陸軍用地の境界石も移設されている。

飛行7連隊将校集会所門柱 (6)
側面には、第16号と彫られている。浜松で見た境界石は、すべてこの石材だった。石に詳しくないが、陽が当たるとキラキラ光る石材である。


飛行7連隊将校集会所門柱 (2)
説明板
1日も早く、永住の地が決まる事を願ってやまない。

飛行第7連隊(戦隊)将校集会所門柱の場所はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。
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また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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