野戦砲兵第11連隊 その1

陸上自衛隊善通寺駐屯地1キャンプと呼ばれている区域は、野戦砲兵(後に山砲兵)第11連隊の跡地であり、いくつかの遺構が残っている。
(ただし、基地開放などでも公開していなく特別に見学させていただいた。また、現状は不明であり、取り壊されている可能性もある。)
野戦砲兵第11連隊は、明治29年7月、広島で編成に着手し、善通寺に転営後の明治31年10月発足、明治36年に山砲兵連隊に改編された。
日露戦争では旅順攻略戦に参加後、奉天会戦にも参加、明治39年1月に凱旋する。
明治43年から2年半の間、満州駐箚。大正7年に野砲兵連隊に改編し大正9年シベリア出兵に参加する。
大正11年に凱旋し、再び山砲兵連隊に改編する。
昭和12年7月、日中戦争が始まると、8月に動員下令され、川沙口に敵前上陸を果たし、激戦死闘を繰り広げる。
12月に台湾に移動、広東攻略に備えるも作戦中止となり13年2月に帰国、同年9月、満州に派遣され以後、国境防備にあたる。
太平洋戦争末期の昭和19年2月、第3大隊をグァム島砲兵のために派遣するも、7月に米軍が上陸。奮闘むなしく玉砕する。
連隊主力は昭和20年4月、本土防衛のために郷土である四国に移動、高知で終戦を迎える。
(日本陸軍兵科連隊、新人物往来社より抜粋)

善通寺山砲連隊その1
駐屯地に入って最初に見える建物。

善通寺山砲連隊その1 (2)
詳細は不明だが、オリジナル度は極めて高いと思われる。

善通寺山砲連隊その1 (9)
見た直感では、居住施設に感じたが、砲具庫の可能性もある。

善通寺山砲連隊その1 (4)
駐屯地の外からも見える。

善通寺山砲連隊その1 (3)
馬功碑の台座部分のみが残るも、詳細不明。

善通寺山砲連隊その1 (7)
こちらは風化が激しく、また、記録をしなかったが、日露戦役出征紀念碑だったような・・・

善通寺山砲連隊その1 (5)
砲兵連隊碑 もちろん戦後の物である。

善通寺山砲連隊その1 (8)
離れた場所にあるが、駐屯地内には立哨小屋がある。この位置にあった物か、移設された物かは不明。

善通寺山砲連隊その1 (6)
弾薬庫だろうか?見た感じは古いのだが、戦後の物だろうか?
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

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