海軍機関学校大講堂

海上自衛隊舞鶴総監部及び、第4術科学校は、海軍機関学校の建物を使用している。
海軍機関学校は明治7年、横須賀に海軍兵学寮分校としてつくられ、明治11年に海軍兵学校付属海軍機関学校、明治14年に海軍機関学校となった。
明治34年に現在の神奈川歯科大、横須賀学院のある場所に新校舎が建てられる。
しかし、大正12年、関東大震災で校舎が消失、翌13年、舞鶴移転が決定し14年に移転完了する。
今回は、追憶・海軍機関学・海軍兵学校舞鶴分校さんを参考にさせていただいた。

舞鶴機関学校 (12)
海軍機関学校正門

舞鶴機関学校 (10)
感じから新しい物かと思ったが、機関学校当時の写真にも写っている。

舞鶴機関学校 (8)
向かって左の門柱。袖門は無い。

舞鶴機関学校
敷地に入り、坂を登ると機関学校大講堂が見えてくる。

舞鶴機関学校 (3)
大講堂を正面から見る。昭和8年の建築で、現在は海軍記念館として公開されている。

舞鶴機関学校 (5)
正面入り口、車寄せの部分のアップ。

舞鶴機関学校 (11)
大講堂内部の様子。

舞鶴機関学校 (6)
正面、演壇部分。

舞鶴機関学校 (4)
演壇向かって左に掛けてある「福井丸」の絵。福井丸は日露戦争の旅順閉塞作戦により、旅順湾口に沈められた。
この額は日露戦争終結後に引き上げられた、福井丸の船体で作られている。

舞鶴機関学校 (9)
こちらは右に掛けられている「五十鈴川御手洗所」の絵。
これら2枚の絵は、大講堂が建てられた昭和8年からずっとここに飾られている。

舞鶴機関学校 (2)
窓の部分

舞鶴機関学校 (7)
鎮守府司令長官の机 初代司令長官 東郷平八郎以降、歴代の司令長官が使用した。

海軍機関学校大講堂の場所はこちら
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR