陸軍士官学校本部

現在、防衛省のある市ヶ谷には、かつて陸軍士官学校があった。
陸軍士官学校は明治7年に作られ、翌8年に第一期生が入校以来、約70年この地にあった。
この間、市ヶ谷台と言えば、陸軍士官学校の代名詞であるほど、慣れ親しまれた。
陸軍士官学校は幾度か制度を変えることになるが、大正9年には同じ市ヶ谷にあった陸軍中央幼年学校が陸軍士官学校予科に、それまでの陸軍士官学校が陸軍士官学校本科になる。
しかし、昭和12年に、陸軍士官学校本科は陸軍士官学校に戻され座間に移転となる。さらに、陸軍士官学校予科は陸軍予科士官学校となり、こちらは昭和16年、朝霞に移転する。
これらは急増した生徒を、市ヶ谷のみで教育できなくなったからではなかろうか?
士官学校が去った市ヶ谷には、陸軍省、陸軍参謀本部が移転して来て、その後は大本営陸軍部となる。

陸軍士官学校本部 (8)
昭和9年に建てられた1号館は、戦後は東京裁判にも使われた。しかし、老朽化のために取り壊されそうになったが、保存運動もあり、現在は縮小移設されて、市ヶ谷記念館として公開されている。

陸軍士官学校本部 (6)
正面付近から見る。

陸軍士官学校本部 (7)
内部の様子。写真撮影は可能だがフラッシュの使用は不可のため、ブレてしまい使える写真は少なかった。

陸軍士官学校本部
玉座

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床も当時の物をちゃんと記録して、復元している。

陸軍士官学校本部 (5)
天井の様子

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便殿の間(天皇陛下のご休憩所)の扉

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陸軍大臣室の窓。大臣室になったのは参謀本部になってからだと思われる。

陸軍士官学校本部 (10)
バルコニー、ここで三島由紀夫が檄を飛ばした。
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

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