近衛歩兵第4連隊

現在の都立青山高校、国学院高校付近は近衛歩兵第4連隊の兵営があった。
近衛歩兵第4連隊は、明治19年6月近衛都督府の下に創設され、翌20年編成を完了、当初は霞が関に兵営を置いたが、明治24年に青山に転営した。
連隊は、日清戦争には明治28年4月出動、大連に到着するも講和のために、戦後の警備にあたり、そのまま、台湾鎮定に出動。11月下旬に半年ぶりに凱旋した。
明治37年ロシアと国交が断絶されると同時に動員下令され、広島に集結し3月に出港、朝鮮半島に上陸する。
その後は転戦を重ね、遼陽を占領し、奉天戦に参加した。
昭和に入り、昭和10年2月に第1中隊を満州に派出するも、12月に歩兵砲中隊を新設補充した。
日中戦争では、昭和15年6月出動、南寧の警備にあたり、昭和16年7月仏印作戦ではサイゴンまで進出し、次のマレー作戦に備えた。
太平洋戦争勃発により、連隊主力は陸路、第3中隊は海路バンコクに進駐、すぐにマレー侵攻戦を行った。
昭和17年2月、スマトラ東岸に上陸、以後敵の上陸に備えたが、この地で終戦を迎えた。
(ノーベル書房、「わが聯隊」から抜粋)

連隊跡地遺構は無いが、境界石が残っている。

近歩4
道路の一角にそれはある。

近歩4 (2)
「陸軍」だけ書かれているように見える。

近歩4 (4)
以前はもっと残っていたようだが、最近になって消失したようで、付近を見渡すと・・・

近歩4 (3)
陸軍省所轄地の境界石が置かれていた。初期の物と推測する。
これが最近になって消失した物か、また、現在もこの位置に置かれているかは不明

近衛歩兵第4連隊

国家の千城数ある中に
わけても君恩光栄鍾め
帝都の中央大内山を
朝夕仰ぎ志繰を堅む
天顔咫尺に儀伏を勤め
九重近くも守衛を果たし
青山原頭雄建び奮ふ
我等は近衛の四連隊ぞ

近衛歩兵第4連隊境界石の場所はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

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