大津島回天基地

先にも書いたように、大津島(おおづしま)は回天の島として有名であり、回天記念館も建てられている。
ただ、多くの文献やサイトで、大津島回天基地との記述を目にするが、当時の文書には「光突撃隊大津島分遣隊」や「光部隊大津島分遣隊」、「光嵐部隊大津島分遣隊」と書かれており、回天基地は戦後の呼び名であると思われる。
大津島には昭和12年に、93式酸素魚雷の発射試験場が作られた。(案内板が2つあり一方は12年と、もう一方には14年と書かれている。)それまでは呉で試験が行われていたが、遠距離射線を備えたこの発射場が完成してからは、ここで発射試験が行われた。
昭和19年9月に回天基地となり、訓練が開始された。
この地が回天基地に選ばれた理由は、回天は93式酸素魚雷を元に開発されており、93式酸素魚雷の整備施設があり、これが流用出来たからであろう。(案内板より一部抜粋、加筆)

大津島回天その1 (9)大津島公園には、門柱が残っている。

大津島回天その1 (4)調整場のあった場所は、大津島中学校になっており、いくつかの遺構が残っている。
これは変電所。
(当日は夏休み期間であり、生徒がいなかったので、教職員の方に許可を頂き、立ち会いのもと撮影しています。)

大津島回天その1 (5)危険物貯蔵庫

大津島回天その1 (6)点火試験場

大津島回天その1 (3)大津島中学校の周りには、当時の塀が残る。

大津島回天その1塀を外側から見る。

大津島回天その1 (7)点火試験場の奥には、兵舎に向かう階段がある。

大津島回天その1 (2)上から見る。この階段は訓練にも活用され、「地獄の階段」と言われていたらしい。

大津島回天その1 (8)すべり。補修されているが当時からの物だろう。
これは当時の物ではないとの、ご指摘をいただきました。

大津島回天その1 (10)フェリー乗り場の向かいには、航空機搭乗員待機所が残っているが、今は何が何だか状態である。
冬場なら、見えるかもしれない?
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

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