徳島海軍航空基地
現在の徳島阿波おどり空港は、かつて徳島海軍航空基地であった。
徳島海軍航空基地は、昭和13年8月に用地買収が開始された。ただ、徳島の場合、この一帯は農地であったが塩害もあり農業が上手くいかず、軍の飛行場を誘致したため、用地買収は上手く行った。
昭和14年9月に起工し、昭和18年6月に竣工した。
翌年2月からは偵察員教育が実施されるが、昭和20年3月には特攻を主とした実戦部隊となり、多くの隊員が特攻へと旅立った。
今回訪ねた遺構は2つだが、これ以外にも物資保管壕がある様だ。
(春野 公麻呂氏著「四国の戦争遺跡ハイキング」を参照)
営外宿舎 士官及び兵舎に寝泊まりしない下士官用の宿舎。現在は個人宅になっている。

丙九十号住宅 昭和17年10月19日の文字が読み取れる。
弾薬庫
別の角度から見る。
この弾薬庫を撮る場合は、道路から撮影し、敷地内には絶対に立ち入らない様にして下さい。
営外宿舎は個人宅である事、弾薬庫は過去に問題が生じたらしいので、場所は記載しない。
徳島海軍航空基地は、昭和13年8月に用地買収が開始された。ただ、徳島の場合、この一帯は農地であったが塩害もあり農業が上手くいかず、軍の飛行場を誘致したため、用地買収は上手く行った。
昭和14年9月に起工し、昭和18年6月に竣工した。
翌年2月からは偵察員教育が実施されるが、昭和20年3月には特攻を主とした実戦部隊となり、多くの隊員が特攻へと旅立った。
今回訪ねた遺構は2つだが、これ以外にも物資保管壕がある様だ。
(春野 公麻呂氏著「四国の戦争遺跡ハイキング」を参照)


丙九十号住宅 昭和17年10月19日の文字が読み取れる。


この弾薬庫を撮る場合は、道路から撮影し、敷地内には絶対に立ち入らない様にして下さい。
営外宿舎は個人宅である事、弾薬庫は過去に問題が生じたらしいので、場所は記載しない。
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