徳島連隊跡地
徳島市蔵本町には徳島連隊の兵営が置かれていた。
四国には丸亀12連隊や、松山22連隊と歴史のある連隊や、第11師団新設により創設された、善通寺43連隊、高知44連隊があったが、徳島には郷土連隊が無く、県民の誘致により明治41年11月に、歩兵第62連隊が新兵営に移駐した。
しかし、歩兵第62連隊は、宇垣軍縮により廃止となり、新たに善通寺から歩兵第43連隊が移駐してきて、郷土連隊となった。
日中戦争では、上海方面での作戦に従事し、第11師団の満州駐劄に伴い、満州の警備任務に就く。
昭和19年3月、南方警備のために第3大隊を派出する。大隊は約4ヶ月後、グァムで玉砕する。
後に連隊主力が、四国防衛のために郷土に帰り、敵と戦火を交えることなく終戦を迎える事を思うと、運命の残酷さを感じる。
兵営跡地は現在、徳島大学医学部、徳島大学病院になっていて、遺構は皆無に近い。
元練兵場だった、JAバンク ちびっこ広場には、記念碑が残されている。

歩兵連隊跡の碑

馬魂碑 昭和11年11月建立 今回見つけた唯一の歩兵第43連隊遺構である。

歩兵第143連隊之碑

歩兵第235連隊 鯨部隊発祥之地の碑

さらに、陸軍病院跡地に残る、記念碑。
徳島連隊の碑があるのはこちら
四国には丸亀12連隊や、松山22連隊と歴史のある連隊や、第11師団新設により創設された、善通寺43連隊、高知44連隊があったが、徳島には郷土連隊が無く、県民の誘致により明治41年11月に、歩兵第62連隊が新兵営に移駐した。
しかし、歩兵第62連隊は、宇垣軍縮により廃止となり、新たに善通寺から歩兵第43連隊が移駐してきて、郷土連隊となった。
日中戦争では、上海方面での作戦に従事し、第11師団の満州駐劄に伴い、満州の警備任務に就く。
昭和19年3月、南方警備のために第3大隊を派出する。大隊は約4ヶ月後、グァムで玉砕する。
後に連隊主力が、四国防衛のために郷土に帰り、敵と戦火を交えることなく終戦を迎える事を思うと、運命の残酷さを感じる。
兵営跡地は現在、徳島大学医学部、徳島大学病院になっていて、遺構は皆無に近い。


歩兵連隊跡の碑

馬魂碑 昭和11年11月建立 今回見つけた唯一の歩兵第43連隊遺構である。

歩兵第143連隊之碑

歩兵第235連隊 鯨部隊発祥之地の碑

さらに、陸軍病院跡地に残る、記念碑。
徳島連隊の碑があるのはこちら
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