伏見に残る陸軍遺構

日露戦争中の明治38年に外地で編成された第16師団が明治41年に伏見の地を衛戍地とした。
伏見の地が選ばれたのは、第4師団歩兵38連隊や第19旅団司令部、京都連隊区司令部があったからとも言われている。
第16師団が駐屯した事により、伏見は軍都として栄えていく。
今回は、今なお伏見の地に残る陸軍遺構を紹介する。

伏見
現在も残る、師団街道と第一軍道の名称

伏見 (3)
第二軍道沿いには、転落防止柵の石製支柱が残る。

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第二軍道に架かる橋は、師団橋と名付けられた。

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現在も、その名称は受け継がれている。

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師団橋を渡ると、工兵16大隊が架設した事を示す石碑が残るが、いつ竣工したのかは碑が壊れていて判らない。

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師団橋の全景

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見難いが橋梁には、陸軍の象徴でもある星の模様がある。

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騎兵第20連隊跡の碑、深草中学校の近くに建てられている。

伏見 (2)
軍人湯、多くの軍人がここで汗を流し疲れを癒した事だろう。

深草墓地
JR稲荷駅近くにある深草墓園は陸軍墓地の跡地である。
現在は、歩兵9連隊将兵英霊合祀之碑と、満州事変戦病没者合同墓碑の2つが残されている。

深草墓地2
旧陸軍墓地の碑、隣接する石峰寺との境界には陸軍省所轄地の石柱が残っている。

師団橋の場所はこちら
旧陸軍墓地の場所はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

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また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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