歩兵第42連隊 その1

歩兵第42連隊は、日清戦争後の軍拡により創設され、明治31年3月に軍旗が親授された。
連隊の初陣は、明治33年に起こった北清事変(義和団の乱)で、その後は明治37年に日露戦争、大正7年にはシベリアに出兵した。
昭和12年、日中戦争勃発により動員下令、ただちに釜山上陸し、朝鮮半島を北上、数々の戦闘に従事し、山西省の中心地である太原を攻略。引き続き、徐州攻略戦にも参加、これを攻略した。
その後も、広東作戦、南寧作戦、賓陽作戦に従事する。
昭和15年6月、援蒋ルートの中継地点である、竜州討伐が命じられ、討伐を続けながらハノイに進駐するが、11月上海に帰還し、対米英戦に備え部隊を再編成する。
昭和16年12月8日、対米英との戦争が始まると、同日にマレー半島パタニーに上陸、以後は南へと快進撃を続け、シンガポールを陥落させる。
その後、マレー半島北部の警備にあたり、昭和17年11月、第1大隊はアルー諸島へ、連隊本部はタニンバル諸島へ進駐。昭和20年にはアルー諸島に終結するも、そこで終戦を迎えた。

歩兵第42連隊の兵営は、まったくそのまま陸上自衛隊山口駐屯地になっており、多くの遺構が残っている。
山口駐屯地は事前予約なしでも史料館の見学は出来るのだが、遺構等の見学は行っていない。
隊員さんに聞いたところ「駐屯地内の見学は無理だが、外側からなら」とのことだったので、紹介する。

歩42兵営の東端から時計回りで紹介して行く。これは倉庫であろうか?

歩42 (4)詳細不明。

歩42 (7)これは兵舎だと思われる。

歩42 (10)こちらも兵舎であろう。

歩42 (12)最初見た時は将校集会所かと思ったのだが・・・

歩42 (3)兵営北側の丘の上にも、当時の物と思われる建物があり、その手前の境界石は

歩42 (2)
陸軍時代の物である。

歩42 (6)その奥にも建物がある。

歩42 (9)形状や、場所、周りの状態から将校集会所だと推測する。

歩42 (15)これは砲廠だろうか?

歩42 (8)当時の石垣であろう。

歩42 (17)詳細不明だが、弾薬管理関係の建物か?

歩42(16)その隣にある建物。上げ床になっていることから、火薬保管庫と推測する。

歩42 (18)こちらは弾薬庫だろうか?

歩42 (11)立哨小屋があるが、これは浜田にあった物と同形である。後ろの建物も陸軍時代の物と思われる。

歩42 (13)この立哨小屋のひさしの上には、☆マークが付いている!

歩兵第42連隊兵営の場所はこちら
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山口駐屯地

ものすごく遺構を大事に保存、活用してくれている駐屯地ですね。
レンガ遺構及びボイラーを破壊してしまった木更津に見習わせたい物です。

Re: 山口駐屯地

>yakumoさん
大切に保存しているのか、建て替えてもらえないから、仕方なくかは不明ですが…
老朽化で壊されるのは、仕方ないと思います。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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