歩兵第21連隊 その1

浜田市にはかつて、歩兵第21連隊の兵営が置かれていた。
歩兵第21連隊の歴史は古く、明治17年6月に編成された第1大隊と、明治19年6月に編成された第2大隊とで創設され、8月17日に軍旗が親授された。
明治20年11月、第3大隊の編成により連隊の編成は完了、兵営を広島に置く。
日清戦争では明治27年6月仁川に上陸。
7月には、成歓の戦いで第12中隊長松崎大尉が、日本側初の戦死者となる。
この戦闘に勝利した日本軍は、勢いそのまま、日清戦争にも勝利し、連隊は凱旋する。
明治31年7月、浜田の新兵営に転営し、浜田第21連隊が誕生する。
明治33年北清事変(義和団の乱)に出兵する。
日露戦争では、第4軍隷下として戦闘に参加、明治38年3月1日に始まった奉天会戦では、その初日に、連隊長を含む233名が戦死、801名の戦傷者を出すも、3月10日に大勝利を収める。
大正4年3月から約2年間、満州駐劄。
昭和12年に勃発した日中戦争では、8月に釜山上陸、北支戦線に参加後、13年2月には徐州作戦、10月には広東作戦、14年2月に中支海州作戦、11月には南寧攻略戦で武勲をたてる。
連隊はそのまま南下し、インドシナ(仏印)進駐作戦に、その後、北上し再び中支戦線に参加する。
太平洋戦争に突入すると連隊は、タイに上陸しマレー半島を南下、シンガポール攻略戦に従事し、昭和17年2月、シンガポールを陥落させる。
昭和18年1月、ジャワ島に転進、連隊主力は濠北地区防衛に、第3大隊は東部ニューギニア戦線に投入されるも、優勢なる敵と過酷な環境条件により撤退を余儀なくされた。
連隊主力は、セラム島にて終戦を迎え、その栄えある歴史に幕を閉じた。
(わが聯隊:ノーベル書房、歩兵第21連隊歴史の碑から抜粋)
兵営跡地は、浜田高校や浜田第一中学校などになっていて、覆練兵場が2棟残っているほか、立哨小屋が移設保存されている。
余談ではあるが、浜田、鯖江(福井県鯖江市)、村松(新潟県五泉市)は田舎の連隊として陸軍士官学校出の将校には敬遠されていた様である。

歩21 (11)町の一角には記念碑と、立哨小屋が2つ残されている。

歩21 (14)さらにその隣には門柱がある。

歩21 (9)
左の門柱。詳細不明であるが正門ではない様な気がする・・・
旧制浜田高等女学校の校門だそうである。詳しくは「元島根県民のお部屋」さんに書かれているのでご覧いただきたい。

歩21 (10)
右の門柱は折れてしまっている。

歩21 (6)歩兵第21連隊跡の碑

歩21 (8)
向かって右の立哨小屋

歩21 (7)
こちらは左の立哨小屋。同型の物が、陸上自衛隊出雲駐屯地にも保存されている。

歩兵第21連隊兵営の場所はこちら
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。
最近は暇があれば、YouTubeで河合奈保子の動画を観ています。奈保子ちゃん本当に可愛いです!

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR