歩兵第63連隊

島根県松江市古志原には、かつて歩兵第63連隊の兵営があり、その跡地は現在、松江工業高校となっている。
歩兵第63連隊は、日露戦争の最中である、明治38年7月12日に編成が下令され、8月8日、軍旗が親授された。同月22日に大連に上陸し、第4軍の予備隊となる。終戦後は明治40年9月まで大陸の警備にあたり、帰国後は大阪の仮兵舎に、翌明治41年11月、松江の新兵舎に入った。
大正4年と14年にそれぞれ2年間の満州駐劄を行っている。
満州事変勃発により、連隊は昭和6年12月、大連上陸を皮きりに各種作戦に従事する。
昭和9年3月、土竜山事件により連隊長以下18名が戦死、この匪賊を討伐するも、連隊にも多くの犠牲者が出る。事件後の5月には松江に帰還する。
日中戦争が勃発するや、8月に大陸に渡り、各地を転戦、大きな被害を受けるも、昭和14年10月、2年ぶりに凱旋帰国する。
昭和15年8月、満州移駐を命じられ、以後4年間、満州の警備に当たるが、昭和19年7月南方出動となり台湾を経て、ルソン島に向かい、終戦まで同島の守備に就く。
昭和20年9月12日、軍旗を奉焼する時の残存将兵は200名余であった。
(わが聯隊、ノーベル書房 より抜粋)
しかし、残念な事に、現存遺構は極めて少ない。

歩63 (3)松江工業高校之周辺を巡ると、通用門(?)であろう物があり、土堤も当時の物と思われる。

歩63 (5)土堤の基礎である石積みも、当時の物であろう。

歩63 (2)
松江工業高校内に残る、大正6年7月に植えられた、皇太子御手植松
(学校関係者の許可を得て立ち入ってます。)

歩63 (4)校庭の片隅にある、歩兵第63連隊跡の碑

歩63 (6)最期まで残っていた覆練兵場の一部がモニュメントとして残されている。この覆練兵場は平成21年1月に取り壊された。

歩63
至誠の碑、営庭にあった物だろう。昭和12年2月建立
なお、陸軍病院や、射撃場の場所は判明しているが遺構は見つけられなかった。

歩兵第63連隊兵営跡地はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。
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