歩兵第9連隊

歩兵第9連隊は、よく京都9連隊と言われるが、その輝かしい歴史の多くは大津を衛戍地としていた。

明治7年6月に大阪で創設、同年12月に軍旗を親授され、翌明治8年3月に大津へ移駐し、以後、西南戦争、日清戦争、台湾土匪討伐、日露戦争、シベリア出兵、満州守備などの経歴を経て、大正14年に京都伏見へ移駐した。
ただ、郷土の誇りでもあり、また経済的理由でも連隊の移駐には反対も多く、第3大隊は引き続き大津に残る事となった。
その歴史ある歩兵第9連隊の遺構は皆無と言われているが、詳細不明ながら、僅かに境界石等を見付けたので紹介する。

歩9兵営跡地の多くは、大津商業高校となっている。

歩9 (3)大津市歴史博物館近くにある、歩兵第九聯隊之跡碑

歩9 (5)
碑の近くにある石柱。詳細不明だが営内にあった物か?

歩9 (7)こちらも詳細不明の燈篭の一部と思われる物。将校集会所の庭園の物か?

歩9 (9)
階段を上がるとある「陸軍地」の境界石陸軍墓地にある物と同じである。(ただし、どこにあった境界石かは不明)

歩9 (11)境界石近くにある「若鷲の碑」 大津陸軍飛行兵学校の記念碑。

歩9 (12)兵営前駅はホームのみが残っている。

歩9 (14)
三井寺の裏山には、西南戦争の祀念碑がある。明治13年5月24日竣成(?)と彫られている。
さて、この祀念碑の場所は分かり難い。土地勘のある人なら山道を通って行けるだろうが、私は三井寺の中を通って訪ねた。(この際には、拝観料500円が必要となる。)
大津そろばんの碑等、記念碑がある一角があるのだが、そこから更に山を登る事5~10分のところに開けた場所があり、そこにあるのだが、非常に分かり難い。

大津火薬庫
陸軍墓地の南には火薬庫の記載が有る。何の情報も無いので何も残ってないだろうが、せっかく来たので訪ねてみる。

歩9 (10)火薬庫に向かう道には狸の石像と、その後ろには道標があった。形状的に違うだろうが、念のために見てみると・・・

歩9 (8)
何と、陸軍の文字が!!!これは珍しい境界石で、こんな指さしの形状の物は初めて見た。

歩9 (13)さらに坂を登る途中にも、境界石と思われる石柱が有ったが、埋まっていて詳細不明。

歩9 (6)火薬庫付近は、イノシシの罠が仕掛けてあったので、深入りせずに退散し、境界を調べるために墓地に入ると、移設された物であろう「陸軍省所轄地」の石柱が2本あった。

歩9 (4)
写真、向かって右の石柱

歩9 (2)
こちらは左の石柱。

なお、大津連隊区司令部跡憲兵隊跡では、遺構は見つけられなかった。
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大津聯隊區司令部

大津聯隊區司令部の位置ですが、リンク先の場所は大正14年の廃止までの場所ですね。
昭和16年に再設置されますが、場所は西に行った長等小学校の北西隅です。
同校の敷地には公会堂(北東)、物品陳列館(南西)がありましたが、学校建設に伴い整地されたと思われ遺構も無いと思います。
年内に行く予定なので、見てきます。

No title

>>盡忠報國 さん
そうでしたか!違う場所を探していたとは・・・
行かれた時に、何か発見が有ればいいですね!
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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