歩兵第7連隊

連隊番号からも判るように歩兵第7連隊の歴史は古く、明治8年に編成され、西南戦争に参加した14個歩兵連隊(近衛を除く)の一つである。
西南戦争以降も、日清、日露戦争で大活躍をし、先にも述べたように日露戦争での旅順攻略戦での活躍は、映画「二百三高地」に描かれている。
大正3年から約2年間、朝鮮駐剳し、シベリア出兵や関東大震災にも出動した。
昭和7年、上海事変に出動。昭和10年からは2年間、満州に駐剳した。
昭和12年、日中戦争勃発。南京攻略戦、徐州作戦に参加し、14年6月金沢に凱旋する。
その1年後、第16師団と共に満州に移駐した。
昭和19年6月沖縄防衛のため沖縄本島に転進したが、同年12月、台湾に転用され敵の上陸に備えたが、連合軍は台湾を通り越して沖縄に上陸、戦闘を行わず終戦を迎えた。(ノーベル書房、「わが聯隊」から抜粋)
歩兵第7連隊は、兵営を金沢城内に置いていたが、現在、それを偲ばせる遺構はほとんどない。

歩兵7連隊 (8)
連隊の営門が有った大手門付近に建てられている「歩兵第7連隊跡」の碑

歩兵7連隊 (7)城内の石垣に造られたトンネル。兵営と弾薬庫を結んでいる。

歩兵7連隊 (5)鶴丸倉庫、幕末に作られたが、その後は被服倉庫して使われた。

歩兵7連隊 (3)三十三間長屋、これも江戸時代に建てられた物であるが、陸軍が何に使っていたのかは不明。
何かの倉庫として使っていたと推測する。

歩兵7連隊
兵舎から、将校集会所または被服庫に通じる階段。詳細は不明だが陸軍が作った物だろう。
以上が城内に残る遺構である。

歩兵7連隊 (9)
ここからは護国神社に移設された遺構を紹介する。
至誠通神の碑。歩兵第7連隊営庭に置かれていた物を、移設した。左下にある石碑には、第1中隊上海事変の戦死者の名前が彫られている。

歩兵7連隊 (4)
愛馬の碑。昭和12年頃に第9師団留守師団長 安藤中将の揮毫で建立され、これも営庭に置かれていた。

歩兵7連隊 (2)日露戦争での勝利を記念して、営庭に月桂樹を植えた事を記す記念碑。

歩兵7連隊 (6)
愛馬の碑。これは詳細不明で、歩兵第7連隊の物かも不明。
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煉瓦のトンネル

こんばんは♪

ここに煉瓦のトンネルがあったとは、全く知りませんでした(^o^;
都合が良ければ、年内に訪問してみます♪

Re: 煉瓦のトンネル

>>険酷隧さん
是非とも訪ねて下さい。詳しく見れば、知られていない遺構が有るかもしれませんので、是非とも探してみて下さい。

今さらですが

kanさんに遅れること4年になりますか。
今度の週に探訪してきます!
是非、参考にさせてください。

Re: 今さらですが

>祐実総軍三等兵さん
お役に立てるなら嬉しいです。
陸軍墓地には「熊に注意」の看板があったので、気を付けてください。
改めて見ると、偕行社をアップし忘れてます・・・

暑いので無理されませんように!
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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Twitter始めました。@Kanreport0726

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