高崎陸軍墓地

群馬県高崎市高崎城址の南にある龍廣寺内には、陸軍墓地が残っている。
明治5年、廃藩置県で廃城となった高崎城は陸軍省の所管となり、翌年に東京鎮台高崎分営が置かれた。
西南戦争の後、軍備拡充のため、明治16年には歩兵第15連隊が創設され、その兵営となった。

高崎陸軍墓地 (3)お寺の墓地の一角(一番奥)が、陸軍墓地になっている。

高崎陸軍墓地 (8)忠霊碑 左から、明治二十七八年戦役、明治三十七八年戦役戦死病歿者之碑(明治39年7月建立)、満州事変忠霊之碑(昭和8年2月建立)、支那事変、大東亜戦争忠霊碑(戦後建立)


高崎陸軍墓地 (4)向かって左側には古い墓石が残っている。

高崎陸軍墓地 (6)明治8年に建てられた墓もあり、その頃は名前しか彫られていない様である。それ以外にも、階級でなく兵卒や銃卒などと彫られていたり、呼称の変化が判る。

高崎陸軍墓地 (5)生兵の墓。生兵とは明治7年から20年にあった制度で、徴兵されて6ヶ月間の訓練期間中は生兵と呼ばれ、その後に兵士として勤務可能と認められれば二等卒の階級が与えられた。
生兵の墓を見たのは真田山(大阪)陸軍墓地以来である。

高崎陸軍墓地向かって右の墓石。こちらは満州事変での墓石が多く見られた。

高崎陸軍墓地 (2)陸軍墓地の全景

高崎陸軍墓地 (7)高崎陸軍墓地には日露戦争で捕虜となり、高崎に収容されていたロシア兵のうち、この地で命を落とした3人のロシア兵の墓がある。

高崎陸軍墓地の場所はこちら
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No title

寒い中、探索ご苦労様でした。

生兵の墓地の件、真田山墓地を開いてみて大体のことがわかりました。ありがとうございました。

Re: No title

>>トッポ作さん
古い制度ですので、生兵の墓はほとんど残っていないと思います。
それにしても寒かったです。
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
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