宇都宮陸軍飛行場
栃木県農業大学校の敷地内には、宇都宮陸軍飛行場の掩体壕が2基残っている。
昭和15年に宇都宮飛行学校が発足、昭和16年9月に飛行場が完成した。
その後、戦局の悪化で学徒動員された、東京工業大学の学生により掩体壕が建造された。
(パンフレットより抜粋)
奥の掩体壕。冬場でないと近づく事は無理な様だ。
この掩体壕は大型機用で、幅28.1m、奥行き22.6m、高さ4.7mである。
4式重爆「飛龍」が幅22.5m、長さ18.7m、高さ5.6mであることから、充分に格納できる。
この掩体壕も大正飛行場や八日市飛行場同様、前方の天井が崩れ落ちてしまっている。
同じ大型機用掩体壕でも海軍の場合は崩れていないのに、陸軍のは梁の前方から崩れてしまっている。
これは、これは鉄筋が入っていない(入っていても少ない)事はもちろんだが、設計的に問題があると見ている。

掩体壕の入口右には文字が書かれている。
建造に携わった人の名前だと思うが、野 木(本?) 村 しか判読できない。
手前側の掩体壕。こちらも奥の掩体壕と同じく大型機用であり、手前の天井は崩れ落ちている。
夕日に染まる掩体壕
この掩体壕の屋根には、米軍機による機銃掃射の痕が残っているらしい。
今回、ご案内下さった、栃木県農業大学職員の方には、深くお礼申し上げます。
栃木県農業大学の場所はこちら
昭和15年に宇都宮飛行学校が発足、昭和16年9月に飛行場が完成した。
その後、戦局の悪化で学徒動員された、東京工業大学の学生により掩体壕が建造された。
(パンフレットより抜粋)


4式重爆「飛龍」が幅22.5m、長さ18.7m、高さ5.6mであることから、充分に格納できる。

同じ大型機用掩体壕でも海軍の場合は崩れていないのに、陸軍のは梁の前方から崩れてしまっている。
これは、これは鉄筋が入っていない(入っていても少ない)事はもちろんだが、設計的に問題があると見ている。

掩体壕の入口右には文字が書かれている。
建造に携わった人の名前だと思うが、野 木(本?) 村 しか判読できない。



今回、ご案内下さった、栃木県農業大学職員の方には、深くお礼申し上げます。
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