歩兵第70連隊関連の門柱

兵庫県篠山市には歩兵第70連隊の兵営があった。
歩兵第70連隊は、日露戦争後の軍拡で明治40年、大阪で編成され、翌年、篠山に移駐した。
この連隊は、「丹波の鬼」の異名をとり、勇猛果敢なことで有名だった。

篠山連隊跡地営門 オリジナルの場所だと思われる。

歩70軍旗祭第12回軍旗祭の絵葉書 奥に営門が写っている。当時は立哨小屋があったのが判る。(写真提供:tiger氏)
明治40年から数えて12回だと大正8年、篠山に移駐してから12回だと大正9年になるので、どちらにしても、大正中期であると思われる。

篠山連隊跡地 (5)
営門近くには、いくつかの碑が建てられている。
歩兵第70連隊跡の碑

篠山連隊跡地 (4)歩兵第168連隊発祥の地の碑 歩兵第168連隊は歩兵70連隊が満州に移駐した後、この地で編成された。

篠山連隊跡地 (3)第31航空通信連隊 陸軍特別幹部候補生修練の地の碑
第31航空通信連隊とは、案内板に書かれている中部第110部隊だろうか?

篠山連隊跡地 (7)
洗心(?)の碑

篠山連隊跡地 (6)
昭和2年初秋 建立だろうか?

篠山連隊跡地 (2)
兵営と民有地の境界だった水路が残っている。

篠山連隊跡地 (8)兵営の南東に残る門柱。将校集会所の物だと思われる。

篠山連隊跡地 (9)兵営の東方に残る門柱。通用門と思われ大理石の表札が残るが、読み取れなかった。

篠山連隊跡地 (10)兵営の北東に残る門柱。これは陸軍病院の物だろう。
歩兵第70連隊営門の場所はこちら
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

お疲れ様です

中部第百十部隊は航空通信の教育部隊である第三十一航空通信聯隊のことですね。
昭和19年2月5日、篠山において編成(丸内忠八中佐)、第一航空軍隷下、昭和20年4月8日、航空總軍の発足に伴い第五十三航空師團隷下に編入、通称号は帥第五五一部隊に変更されたようです。
近々、私も再探索に行く予定ですが、アポの交渉過程で北側の陸軍病院跡に古い建物があるとか???
残念ながら工場閉鎖により外からしか見れないようですが・・・

Re: お疲れ様です

>>盡忠報國さん

やはり、中部第百十部隊は第三十一航空通信聯隊のことですか!
昭和10年代半ばになると、部隊も中部○○部隊とか、兵団符号で呼ばれたり、外征部隊は指揮官名を冠した物になったりで、調べるのに苦労します。
御教授ありがとうございました。

陸軍病院跡には、形状や窓の形から遺構と思われる建物が見えましたが、詳細は不明です。

父の思い出の地です

一昨年に亡くなった父は篠山中部110部隊航空兵として入営しておりました。ここで軍事教育や通信技術を教育され、その後台湾で通信兵としてが一派遣され終戦を迎えました。自分史によると、大変厳しい訓練であったということです。

Re: 父の思い出の地です

>前野直道さん
御尊父様がここで教育を受けたのですか。戦争末期なら、それは厳しい訓練を受けたのでしょう。
台湾で終戦を迎えられたとの事、そこにも人間の運命を感じます。
貴重な話をありがとうございました。
プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、焼き魚(特に、タチウオ、エボダイ、ニシン)をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。


紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR