第2海堡

東京湾の最狭部である、富津岬と観音崎を結ぶラインには3つの海堡があった。
これは、首都東京へ敵国艦隊の浸入を防ぐためであり、当時の建築技術の粋を集めて造られた。
第2海堡は、第1海堡(明治14年)に続き明治22年に着工したが、元々、浅瀬だった所に作った第1海堡と違い、最大12mの水深と海流も有るので工事は難航し、25年後の大正3年に竣工した。
大正12年の関東大震災で大きな被害を受け海堡としての役割を終えたが、第2次世界大戦末期には、防空砲台として使われた。
現在、第3海堡は撤去されて無くなってしまったが、第1、第2海堡は残っている。
2005年までは船で第2海堡に渡れた様だが、現在は渡れない。
備砲は、27cmカノン砲×2、シュナイダー・カネー式27cmカノン砲×4、15cmカノン砲×8であった。 (学研、日本の要塞参照)
この写真は、2007年10月に行われた見学クルーズで撮った物であり、現在は護岸工事が進み外見が大きく変わっており、明治時代の遺構はほとんど見る事が出来ない。(らしい)

第2海堡  (4)
第2海堡の全景 南側から見ている。

第2海堡  (6)
第2海堡の西端 

第2海堡  (5)
時計回りに海堡の北側に廻ると、発電所と思われるレンガ造りが姿を晒している。

第2海堡  (9)
レンガの地下施設が露出している。

第2海堡  (7)
海堡の北側にある掩蔽部、地下兵舎だろうか?

第2海堡  (8)
海堡の東端、レンガの遺構が散乱している。

第2海堡
ここまで破壊されてしまったら、もう、どうしようもない。

第2海堡  (2)
27cmカノン砲座と思われる。

余談だが、あのゴルゴ13もこの第2海堡に上陸している。(47巻 暗黒海流)
ここで、在日米軍の軍曹から、半ば強制的に横流しさせたライフルを,試射中に、襲撃してきた自衛隊を全滅させている。
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く橋本環奈が大好きな正統派変人です。

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