横須賀水交社門柱
令和4年最後のレポートは最初で最後?の試み、画像なしで遺構を紹介する。
米海軍横須賀基地内にはかつて横須賀水交社があった。
水交社とは、明治9年3月に海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体であり、東京をはじめ横須賀、佐世保など9ヶ所にあった。
新横須賀市史 別編軍事には、明治20年に水交社横須賀支社が設置された。その後は何度かの移転や、新たに設置された長浦集会所との合併などを行い、昭和3年に現在の米軍基地内に移転し、横須賀水交社と改称した。
昭和6年には、社団法人となり、社長は横須賀鎮守府司令長官を充てた。また、社員は海軍士官、候補生、高等文官など排他的な組織であった。
現在は、門柱のみが残っており、基地の外から金網越しに見ることが出来る。
過去には基地に隣接するショッピングモールから明治期に造られたドックを撮影し公開したことはあるが、今回は直接金網越しに撮らなければならず、場合によっては職務質問や任意同行となる可能性もあるため、撮影はしなかった。
また、金網越しに基地内をのぞき込んでいると、これも職務質問される可能性があるので御注意を。
場所は明記しない
米海軍横須賀基地内にはかつて横須賀水交社があった。
水交社とは、明治9年3月に海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体であり、東京をはじめ横須賀、佐世保など9ヶ所にあった。
新横須賀市史 別編軍事には、明治20年に水交社横須賀支社が設置された。その後は何度かの移転や、新たに設置された長浦集会所との合併などを行い、昭和3年に現在の米軍基地内に移転し、横須賀水交社と改称した。
昭和6年には、社団法人となり、社長は横須賀鎮守府司令長官を充てた。また、社員は海軍士官、候補生、高等文官など排他的な組織であった。
現在は、門柱のみが残っており、基地の外から金網越しに見ることが出来る。
過去には基地に隣接するショッピングモールから明治期に造られたドックを撮影し公開したことはあるが、今回は直接金網越しに撮らなければならず、場合によっては職務質問や任意同行となる可能性もあるため、撮影はしなかった。
また、金網越しに基地内をのぞき込んでいると、これも職務質問される可能性があるので御注意を。
場所は明記しない
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