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千代ケ崎砲塔砲台 その1

近接防御砲台が残るファーマシーガーデン浦賀には、砲塔砲台の遺構も残っている。

この砲塔砲台は、大正13年1月起工し、翌14年6月に竣工した、わが国初の砲塔砲台であり、ワシントン条約により廃棄となった、戦艦「鹿島」の主砲である30cmカノン2門の砲塔を備え付けていた。
しかし、艦砲をそのまま陸上砲台として使用するのは、日本では前例がなく、30cmカノン砲は砲身だけでも約100トンであり、これを運搬し、陸揚げするため、巨大なクレーンを備えた船「蜻州丸」(せいしゅうまる)を建造した。
「蜻州丸」のクレーンは最大150tを吊り上げる能力があり、「蜻州丸」によって運ばれた砲身を陸揚げし、それを山の上まで上げるためにウィンチで引き揚げたのだが、引揚げ途中にワイヤーが切れ、砲身を転落させる事故が起きた。幸い死傷者はなく、その後の貴重な教訓となった。

砲塔および砲身の動作は艦艇と同様のシステムを採用し、水圧により行われた。
その水圧を得るための動力は発動機関により行われ、蓄力機室(コンプレッサー室)には、7トンの水圧蓄力機 1 個と、これを収容する蓄力機井を設けていた。
砲台の旋回は、左右約40度、有効射距離は26000mだった。
大正14年12月試験射撃を実施、これが砲塔砲台初の射撃試験だったが、結果は良好であった。
参考資料:「日本築城史」(浄法寺朝美)、「日本の要塞」(学研)
しかし、わが国初の砲塔砲台も残る遺構は僅かである。

千代ケ崎砲塔砲台その1 (2)
現在、公開されている千代ケ崎砲台の入り口手前から脇道に入ると、片方のみではあるが門柱がある。

千代ケ崎砲塔砲台その1 (1)
門柱のアップ

千代ケ崎砲塔砲台その1 (5)
その先にはファーマシーガーデン浦賀の入り口がある。

千代ケ崎砲塔砲台その1 (4)
振り返って見る。

千代ケ崎砲塔砲台その1 (7)
農園内に残る軍道を進むと、

千代ケ崎砲塔砲台その1 (9)
砲塔砲台の機関室が見えてくる。

千代ケ崎砲塔砲台その1 (8)
井戸小屋と思われるコンクリートの基礎がある。

千代ケ崎砲塔砲台その1 (10)
その脇にある、当時の物と思われる階段

千代ケ崎砲塔砲台その1 (11)
ブラフ積の擁壁に沿って進むと

千代ケ崎砲塔砲台その1 (13)
その先には、機関室がある。
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プロフィール

kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。
腰はガラスの腰と言われ、定期的に壊れます!

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。誤字や文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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