大房岬砲台左翼砲座と弾薬庫
千葉県南房総市にある大房岬には大房岬砲台があった。
大房岬砲台は昭和3年1月に起工、同7年10月に竣工の砲塔砲台で、備砲は巡洋戦艦「鞍馬」の副砲であった45口径20cmカノン砲2門入砲塔を2基配置し、計4門であった。
他の砲塔砲台と異なり、砲座に転輪を取り付け、これに砲塔を載せた手動式であり、後方に地下式の弾薬庫がある。
鞍馬は明治40年10月に進水、明治44年2月に就役したが、大正11年2月6日締結のワシントン海軍軍縮条約により廃棄が決定し、大正12年9月除籍となった。
明治44年に就役したと聞くと古い感じがするが、除籍の時点で艦齢22年であり、令和3年3月時点で、艦齢22年の自衛艦は護衛艦「きりさめ」「ゆうだち」であり、現役バリバリの艦艇であることを考えると、除籍が決まった時点で再利用する計画だったであろうことは、昭和3年1月に起工し、9月には砲塔据付完了していることから、想像に難くない。
また、砲塔砲台で手動式はここのみであることから、手動式で操作できるのは20cm砲が限界なんだろうか?
この大房砲台、砲座自体は砲塔かもしれないが、弾薬庫や発電所など、造り的には露天砲台と同じであり、大掛かりな装置を備えた他の砲塔砲台とは違う。
大房岬砲台を訪ねたのは令和2年1月で、訪問時は前年の9月に千葉県を襲った台風15号の傷痕が生々しく残っていた。

砲座、花壇になっている。そう説明されているから分かるが、言われなければスルーしてしまうかも?

別角度から。

砲座の後方には地下式の弾薬庫がある。

出入り口のアップ

内部から見る。

排水口と思われる。

内部の様子。砲座側から入って右側に弾薬庫が2つ並んでいる。

弾薬庫出入り口。戦後に鉄を取るために出入り口部分が破壊されたと思われる。

向かって右の弾薬庫

左の弾薬庫。造りは同じである。

反対側から見た内部

反対側の出入り口。弾薬庫の出入り口はどちらともスロープになっている。

反対側出入り口のアップ

反対側出入り口。こちらにはロープが張られており、こちらから入ることは出来ないので御注意を!
大房岬砲台は昭和3年1月に起工、同7年10月に竣工の砲塔砲台で、備砲は巡洋戦艦「鞍馬」の副砲であった45口径20cmカノン砲2門入砲塔を2基配置し、計4門であった。
他の砲塔砲台と異なり、砲座に転輪を取り付け、これに砲塔を載せた手動式であり、後方に地下式の弾薬庫がある。
鞍馬は明治40年10月に進水、明治44年2月に就役したが、大正11年2月6日締結のワシントン海軍軍縮条約により廃棄が決定し、大正12年9月除籍となった。
明治44年に就役したと聞くと古い感じがするが、除籍の時点で艦齢22年であり、令和3年3月時点で、艦齢22年の自衛艦は護衛艦「きりさめ」「ゆうだち」であり、現役バリバリの艦艇であることを考えると、除籍が決まった時点で再利用する計画だったであろうことは、昭和3年1月に起工し、9月には砲塔据付完了していることから、想像に難くない。
また、砲塔砲台で手動式はここのみであることから、手動式で操作できるのは20cm砲が限界なんだろうか?
この大房砲台、砲座自体は砲塔かもしれないが、弾薬庫や発電所など、造り的には露天砲台と同じであり、大掛かりな装置を備えた他の砲塔砲台とは違う。
大房岬砲台を訪ねたのは令和2年1月で、訪問時は前年の9月に千葉県を襲った台風15号の傷痕が生々しく残っていた。

砲座、花壇になっている。そう説明されているから分かるが、言われなければスルーしてしまうかも?

別角度から。

砲座の後方には地下式の弾薬庫がある。

出入り口のアップ

内部から見る。

排水口と思われる。

内部の様子。砲座側から入って右側に弾薬庫が2つ並んでいる。

弾薬庫出入り口。戦後に鉄を取るために出入り口部分が破壊されたと思われる。

向かって右の弾薬庫

左の弾薬庫。造りは同じである。

反対側から見た内部

反対側の出入り口。弾薬庫の出入り口はどちらともスロープになっている。

反対側出入り口のアップ

反対側出入り口。こちらにはロープが張られており、こちらから入ることは出来ないので御注意を!
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