歩兵第16連隊白壁兵舎
新潟県新発田市には歩兵第16連隊の兵営が置かれていた。
新発田兵営の歴史は古く、明治4年10月、新潟に営所が置かれ、12月に8番大隊が編成され、その一部が新発田に配置された。
明治7年、新発田城内に兵営が新設され、東京駐屯の第9大隊が移駐、また第8大隊の1個中隊が編入され、歩兵第16連隊の起源となる。
明治17年6月、歩兵第16連隊が編成され、8月に軍旗が親授された。
明治27年、日清戦争勃発し連隊は10月新発田を出発、宇品を経由し、翌年1月に大連に到着。極寒の中、威海衛を攻略し、以後、遼東各地を転戦、10月に台湾上陸、討伐警備にあたり、29年に凱旋する。
明治37年に勃発した日露戦争でも多くの会戦に参加、特に遼陽会戦での白兵戦は、戦史に残る快挙であった。
大正8年にはシベリア出兵、昭和6年には満州事変に出動する。
昭和12年4月、満州駐箚。7月に日中戦争勃発、連隊は国境を突破、数々の戦闘に参加し、12月に満州に帰還する。
昭和14年、ノモンハン事件に参加、悪戦苦闘を重ね、昭和15年11月、新発田に帰還した。
翌昭和16年10月、臨時編成が下令され多くの召集兵が編入された。秋深まる頃、新発田を出発し、習志野に集結。12月には太平洋戦争勃発、夏軍装で震えながら宇品へ。翌17年1月、宇品を出港し一路南下し、3月、ジャワ島に敵前上陸を敢行した。
その後は西ジャワでの戦闘警備にあたり、9月ジャワを出港しラバウルに到着。10月にはガダルカナルに上陸する。
しかし、敵機の猛爆、ジャングルの苦難の行軍、飛行場争奪のための壮絶なる夜襲、陣地死守。
そして、食料は尽き、疫病に悩まされ、多くが草むす屍となるも、18年2月、撤退に成功する。
ガダルカナル撤退後、ニューブリテン島で補充部隊と合流、5月にマニラで部隊を再編成し、10月にシンガポール上陸。
昭和19年元旦、出動命令を受けビルマに向かい、ベンガル湾沿岸の警備にあたる。
その後は、援蒋ルートの断絶や、中部ビルマでの作戦に参加するも、制空権も無く物量に勝る英印軍に苦難の戦闘を続けるも、昭和20年7月仏印に転進、終戦を迎える。
現在、兵営跡地は陸上自衛隊新発田駐屯地になっており、明治7年に建てられた通称、白壁兵舎を移設復元した史料館が見学できる。

陸上自衛隊新発田駐屯地 白壁兵舎史料館

白壁兵舎の外観 ほとんどが復元であり厳密に言えば旧軍遺構ではない。

ゴールデンウィークに入っても、まだ山頂には雪がある。

入り口部分のアップ

庇部分には陸軍を示す波線1本の鬼瓦があるが、これは複製品だろう。

これは史料館に展示されている、本部庁舎に使われていた鬼瓦

これらは全て復元だろう。

史料館内には階段が残っている。

手摺部分は当時の物だと言っていた。

これも当時の物。

展示されている、当時の木材

梁の部分は当時の木材が多く使われているようだ。

歩兵第16連隊、連隊旗。もちろん複製である。

展示されている、新発田陸軍病院で使われていた衝立

史料館前にある、新発田兵舎之跡の碑
歩兵第16連隊白壁兵舎の場所はこちら
新発田兵営の歴史は古く、明治4年10月、新潟に営所が置かれ、12月に8番大隊が編成され、その一部が新発田に配置された。
明治7年、新発田城内に兵営が新設され、東京駐屯の第9大隊が移駐、また第8大隊の1個中隊が編入され、歩兵第16連隊の起源となる。
明治17年6月、歩兵第16連隊が編成され、8月に軍旗が親授された。
明治27年、日清戦争勃発し連隊は10月新発田を出発、宇品を経由し、翌年1月に大連に到着。極寒の中、威海衛を攻略し、以後、遼東各地を転戦、10月に台湾上陸、討伐警備にあたり、29年に凱旋する。
明治37年に勃発した日露戦争でも多くの会戦に参加、特に遼陽会戦での白兵戦は、戦史に残る快挙であった。
大正8年にはシベリア出兵、昭和6年には満州事変に出動する。
昭和12年4月、満州駐箚。7月に日中戦争勃発、連隊は国境を突破、数々の戦闘に参加し、12月に満州に帰還する。
昭和14年、ノモンハン事件に参加、悪戦苦闘を重ね、昭和15年11月、新発田に帰還した。
翌昭和16年10月、臨時編成が下令され多くの召集兵が編入された。秋深まる頃、新発田を出発し、習志野に集結。12月には太平洋戦争勃発、夏軍装で震えながら宇品へ。翌17年1月、宇品を出港し一路南下し、3月、ジャワ島に敵前上陸を敢行した。
その後は西ジャワでの戦闘警備にあたり、9月ジャワを出港しラバウルに到着。10月にはガダルカナルに上陸する。
しかし、敵機の猛爆、ジャングルの苦難の行軍、飛行場争奪のための壮絶なる夜襲、陣地死守。
そして、食料は尽き、疫病に悩まされ、多くが草むす屍となるも、18年2月、撤退に成功する。
ガダルカナル撤退後、ニューブリテン島で補充部隊と合流、5月にマニラで部隊を再編成し、10月にシンガポール上陸。
昭和19年元旦、出動命令を受けビルマに向かい、ベンガル湾沿岸の警備にあたる。
その後は、援蒋ルートの断絶や、中部ビルマでの作戦に参加するも、制空権も無く物量に勝る英印軍に苦難の戦闘を続けるも、昭和20年7月仏印に転進、終戦を迎える。
現在、兵営跡地は陸上自衛隊新発田駐屯地になっており、明治7年に建てられた通称、白壁兵舎を移設復元した史料館が見学できる。

陸上自衛隊新発田駐屯地 白壁兵舎史料館

白壁兵舎の外観 ほとんどが復元であり厳密に言えば旧軍遺構ではない。

ゴールデンウィークに入っても、まだ山頂には雪がある。

入り口部分のアップ

庇部分には陸軍を示す波線1本の鬼瓦があるが、これは複製品だろう。

これは史料館に展示されている、本部庁舎に使われていた鬼瓦

これらは全て復元だろう。

史料館内には階段が残っている。

手摺部分は当時の物だと言っていた。

これも当時の物。

展示されている、当時の木材

梁の部分は当時の木材が多く使われているようだ。

歩兵第16連隊、連隊旗。もちろん複製である。

展示されている、新発田陸軍病院で使われていた衝立

史料館前にある、新発田兵舎之跡の碑
歩兵第16連隊白壁兵舎の場所はこちら
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