呉 歴史の見える丘
呉市宮原には、歴史の見える丘と名付けられた公園があり、造船船渠記念碑、呉海軍工廠礎石記念塔がある。
ただ、説明板はあるのだが詳細が書かれておらず、これらの定礎石が何のものであったのか、よく分からないが残念である。

造船船渠記念碑
呉海軍工廠に明治44年3月完成し昭和46年11月解体されるまで数多くの艦船や船舶を建造した、造船船渠を記念して建てられた。船渠側壁の石をそのまま用い、渠底に降りるための階段を再現している。(説明板から抜粋)
階段の側面に定礎石があるが、見逃したようである。

呉海軍工廠礎石記念塔
昭和57年に残存していた旧呉海軍工廠の礎石を集めて建てた。縁石には堺川にかかる二重橋に使用されていたものを使い、銘板が取付けてあるレンガは旧海軍呉鎮守府開庁当時の庁舎建材を使っている。(説明板から抜粋)

呉海軍工廠礎石記念塔を、背後から見る。

塔の上から、明治22年4月、起工の定礎石 四隅に菊の御門が施されていること、明治22年起工であることから、呉鎮守府の定礎石であることも否定できない。

正面下部には、第6工場と記された石が

右側面には、第4工場 明治28年建之の定礎石が

左側面には、明治35●起工 明治36●竣工の定礎石が、(●の字が読めません、御教示下さい。)

背面下部には、明治27年6月の定礎石がある。

歴史の見える丘からの眺め。大和を造ったのは写真左の建屋の中らしい。

右を見ると、護衛艦を建造中である。その奥には、レンガ建築が見える。

レンガ建築のアップ
歴史の見える丘の場所はこちら
ただ、説明板はあるのだが詳細が書かれておらず、これらの定礎石が何のものであったのか、よく分からないが残念である。

造船船渠記念碑
呉海軍工廠に明治44年3月完成し昭和46年11月解体されるまで数多くの艦船や船舶を建造した、造船船渠を記念して建てられた。船渠側壁の石をそのまま用い、渠底に降りるための階段を再現している。(説明板から抜粋)
階段の側面に定礎石があるが、見逃したようである。

呉海軍工廠礎石記念塔
昭和57年に残存していた旧呉海軍工廠の礎石を集めて建てた。縁石には堺川にかかる二重橋に使用されていたものを使い、銘板が取付けてあるレンガは旧海軍呉鎮守府開庁当時の庁舎建材を使っている。(説明板から抜粋)

呉海軍工廠礎石記念塔を、背後から見る。

塔の上から、明治22年4月、起工の定礎石 四隅に菊の御門が施されていること、明治22年起工であることから、呉鎮守府の定礎石であることも否定できない。

正面下部には、第6工場と記された石が

右側面には、第4工場 明治28年建之の定礎石が

左側面には、明治35●起工 明治36●竣工の定礎石が、(●の字が読めません、御教示下さい。)

背面下部には、明治27年6月の定礎石がある。

歴史の見える丘からの眺め。大和を造ったのは写真左の建屋の中らしい。

右を見ると、護衛艦を建造中である。その奥には、レンガ建築が見える。

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