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大分陸軍墓地2

さて、「大分連隊」の記事中にも書いたが、歩兵第72連隊はシベリア出兵の際、部隊全滅の被害を受けている。
これは、「ユフタの戦い」とも言われ、大正8年2月、第3大隊長率いる田中支隊はユフタ付近にいる敵の攻撃を命ぜられ、1個小隊を偵察に向かわせたが、敵に包囲され負傷者3名のほか戦死する。小隊の救援に向かった本隊も、数に勝る敵の攻撃を受け奮闘するも全員戦死を遂げた。
更に支隊に配属されていた野砲兵12連隊第5中隊の将兵(1個小隊)は本隊の救援に向かうもほとんどが戦死した。(野砲兵12連隊第5中隊の碑は、小倉駐屯地に残されている。)
「ユフタの戦い」については、祖国は危機にあり 関連blogさんに詳しく書かれている。
現在、大分陸軍墓地に残されている個人墓は、この戦闘による戦死者の物である。(極少数であるが、満州事変の戦死者の墓もあることを後日知った。)これは、歴史の浅い連隊で墓地に余裕が有ったのもあるだろうが、内政干渉で、ロシア国内の混乱に乗じた火事場泥棒的な出兵により(個人的な見解です。)肉親を失った遺族は、青森(幸畑)陸軍墓地同様、合葬碑では納得しなかったのではなかろうか?
この墓地は、当時のままの状態が維持されていると思う。

大分陸軍墓地 (7)
ユフタ戦死者の墓

大分陸軍墓地 (8)
ここも他の陸軍墓地と同様、階級によって墓石の大きさや場所が区別されている。

大分陸軍墓地 (9)
もちろんこれらは、下士官兵の物であり、1回の戦闘でこれだけの戦死者が出たことに驚きを感じる。

大分陸軍墓地 (10)
上方から見る。

大分陸軍墓地 (11)
将校の墓 大尉なので中隊長クラスか?

大分陸軍墓地 (12)
ユフタで戦死したことが書かれている。

大分陸軍墓地 (13)
後に調べると、この2基は満州事変戦死者の墓の様であるが、何故、個人墓が建てられたかは不明

大分陸軍墓地 (14)
ユフタでの将校戦死者の墓 こちらは3月3日、ホチカレオ(?)戦死となっている。後方基地(野戦病院)で息を引き取ったということだろうか?

大分陸軍墓地 (15)
4基並んだ個人墓

大分陸軍墓地 (16)
特務曹長の墓もある。

大分陸軍墓地 (17)
5基並んだ墓 これらも将校の墓であろう。

大分陸軍墓地 (18)
一番右が、田中支隊長の墓である。
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kan

Author:kan
酒とトリ貝刺と、南蛮漬けをこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
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