歩兵第6連隊 兵舎
愛知県犬山市にある明治村には、歩兵第6連隊の兵舎が移設展示されている。
歩兵第6連隊は、明治7年に軍旗を親授された歩兵連隊の中でも最古参の連隊の1つである。
明治4年、東京鎮台第3分営が置かれ、藩兵などを総括して第6番大隊として名古屋城内に駐屯した。
明治6年、名古屋鎮台が創設され、その指揮下に入る。
明治7年3月、2個大隊をもって歩兵第6連隊が編成された。
以後、明治10年に西南の役に出動し、明治27年には日清戦争に出征する。
明治37年、日露戦争に出征し、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に参加。幾多の武勲を立て凱旋する。
大正7年8月、シベリアに派兵され、10月に帰国。
昭和3年5月、済南事変により出動、山東省で警備にあたり、1年後の昭和4年5月に帰還する。
昭和9年4月、満州に派遣され2年間警備、教育訓練に従事し昭和11年4月に帰還する。
昭和12年、日中戦争が勃発すると8月に名古屋港より出港、呉淞に敵前上陸を敢行する。以後、南京、徐州、武漢、宜昌、漢水作戦に従事し、太平洋戦争では中支、南支を転戦中に終戦を迎える。
(わが連隊:ノーベル書房から抜粋)
明治村に移設されているのは、明治6年、歩兵第6連隊が創設された際、名古屋城二の丸に新築された第10中隊の兵舎で、元は50mを超える長い建物であったが、移築に際し約2/3に切り縮められている。
創建当時の窓は現在の約半数であったが、のちに室内を明るくするため増設されている。また、内務班、中隊長室、下士官室等が当時の姿に復原されている。(明治村HP、案内板から抜粋)

兵舎の全景。移設場所の関係で正面から撮ることは難しい。

反対側から見る。

正面アップ

入り口部分

反対側から見る。

居住区

見習い士官室

中隊事務室

中隊長室。中隊長室、中隊事務室、見習い士官室は2階にあったが、現在は1階に再現されている。

下士官室

1階廊下。2階は改装されていて遊戯場になっているのは残念だが、保存するためには仕方ないのだろう。逆に、保存されていることを感謝しなければならない。

階段を上がった2階部分

2階窓のアップ

当時のガラスが残っており、写真では分かり難いが実際に見ると波打っている。

反対側を見る。同じ作りである。こちらが正面?

側面を見る。

反対側
歩兵第6連隊は、明治7年に軍旗を親授された歩兵連隊の中でも最古参の連隊の1つである。
明治4年、東京鎮台第3分営が置かれ、藩兵などを総括して第6番大隊として名古屋城内に駐屯した。
明治6年、名古屋鎮台が創設され、その指揮下に入る。
明治7年3月、2個大隊をもって歩兵第6連隊が編成された。
以後、明治10年に西南の役に出動し、明治27年には日清戦争に出征する。
明治37年、日露戦争に出征し、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に参加。幾多の武勲を立て凱旋する。
大正7年8月、シベリアに派兵され、10月に帰国。
昭和3年5月、済南事変により出動、山東省で警備にあたり、1年後の昭和4年5月に帰還する。
昭和9年4月、満州に派遣され2年間警備、教育訓練に従事し昭和11年4月に帰還する。
昭和12年、日中戦争が勃発すると8月に名古屋港より出港、呉淞に敵前上陸を敢行する。以後、南京、徐州、武漢、宜昌、漢水作戦に従事し、太平洋戦争では中支、南支を転戦中に終戦を迎える。
(わが連隊:ノーベル書房から抜粋)
明治村に移設されているのは、明治6年、歩兵第6連隊が創設された際、名古屋城二の丸に新築された第10中隊の兵舎で、元は50mを超える長い建物であったが、移築に際し約2/3に切り縮められている。
創建当時の窓は現在の約半数であったが、のちに室内を明るくするため増設されている。また、内務班、中隊長室、下士官室等が当時の姿に復原されている。(明治村HP、案内板から抜粋)

兵舎の全景。移設場所の関係で正面から撮ることは難しい。

反対側から見る。

正面アップ

入り口部分

反対側から見る。

居住区

見習い士官室

中隊事務室

中隊長室。中隊長室、中隊事務室、見習い士官室は2階にあったが、現在は1階に再現されている。

下士官室

1階廊下。2階は改装されていて遊戯場になっているのは残念だが、保存するためには仕方ないのだろう。逆に、保存されていることを感謝しなければならない。

階段を上がった2階部分

2階窓のアップ

当時のガラスが残っており、写真では分かり難いが実際に見ると波打っている。

反対側を見る。同じ作りである。こちらが正面?

側面を見る。

反対側
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