都城陸軍墓地
都城市都島公園は旧都城陸軍墓地である。
都城に兵営が置かれたのは明治41年11月であるので、その頃に陸軍墓地が作られたのだろうが、旧埋葬地の碑もあるので、当初は違う場所にあったと推測する。

都島公園の入口。門柱は陸軍墓地時代の物であり、とても立派なのに驚く!
(平成29年3月19日に、岳下橋(嶽下橋)の旧親柱(橋梁の両端にある柱)を移築したもので、それまでは何もなかった、との情報をいただきました。)

門柱のアップ

正面の階段を上ると、そこには広大な空間が広がっている。

灯篭。昭和9年11月、在郷軍人会、北諸県郡連合分会の献納

階段を上ってすぐ左には古い門柱?があるが、詳細は不明。

向かって右の広場。元々は、ここに墓石を並べる予定だったのだろうか?

正面にある納骨堂。案内板には、日支事変以後の戦没者の分骨を個人毎に納め、恒久的に祭祀する目的で、昭和13年に建てられた。とある。

納骨堂の向かって左にある慰霊碑。今回は、終戦以前に建立された慰霊碑のみを紹介する。

満州事変戦没者合祀碑、昭和9年8月建立

納骨堂の向かって右にある、済南事変戦死者之碑。昭和4年3月建立

旧衛戍地埋葬者合祀碑、昭和8年7月建立

そのまま公園の外周に沿って時計回りに歩くと、軍馬忠魂碑がある。昭和10年10月、宮崎県畜産組合連合会の建立。

公園の周りに残る土堤。当時の物と推測するも、詳細は不明。
都城陸軍墓地の入口はこちら
都城に兵営が置かれたのは明治41年11月であるので、その頃に陸軍墓地が作られたのだろうが、旧埋葬地の碑もあるので、当初は違う場所にあったと推測する。

都島公園の入口。門柱は陸軍墓地時代の物であり、とても立派なのに驚く!
(平成29年3月19日に、岳下橋(嶽下橋)の旧親柱(橋梁の両端にある柱)を移築したもので、それまでは何もなかった、との情報をいただきました。)

門柱のアップ

正面の階段を上ると、そこには広大な空間が広がっている。

灯篭。昭和9年11月、在郷軍人会、北諸県郡連合分会の献納

階段を上ってすぐ左には古い門柱?があるが、詳細は不明。

向かって右の広場。元々は、ここに墓石を並べる予定だったのだろうか?

正面にある納骨堂。案内板には、日支事変以後の戦没者の分骨を個人毎に納め、恒久的に祭祀する目的で、昭和13年に建てられた。とある。

納骨堂の向かって左にある慰霊碑。今回は、終戦以前に建立された慰霊碑のみを紹介する。

満州事変戦没者合祀碑、昭和9年8月建立

納骨堂の向かって右にある、済南事変戦死者之碑。昭和4年3月建立

旧衛戍地埋葬者合祀碑、昭和8年7月建立

そのまま公園の外周に沿って時計回りに歩くと、軍馬忠魂碑がある。昭和10年10月、宮崎県畜産組合連合会の建立。

公園の周りに残る土堤。当時の物と推測するも、詳細は不明。
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