歩兵第11連隊門柱

広島城の東にある公園の一角に、歩兵第11連隊の物と言われる門柱が残っている。
歩兵第11連隊は、明治8年5月に創設された歩兵連隊の中でも最古参のうちの1つである。
明治8年9月に軍旗を拝受し、翌年10月、萩の乱に出動し初陣を飾り、さらに翌年の西南戦争にも出動する。
明治27年6月には朝鮮の仁皮に上陸し、京城の警備に当り、8月には清国に宣戦布告し、日清戦争の火蓋が切って落とされた。連隊は北進し平壌を攻略しさらに北進を続け、明治28年7月に凱旋した。
明治35年の北清事変では、天津と北京を攻略し、明治37年2月に始まった日露戦争では、5月に宇品を出港し、金州南山戦闘、得利寺付近の戦闘、大石橋の戦闘を経て、桜桃園、遼陽を占領し、奉天をも攻略、明治39年元旦に凱旋帰国する。
明治44年に満州駐劄、北清騒乱に出動し、翌45年6月に帰還した。
大正8年、シベリア出兵。
昭和12年7月に日中戦争勃発、7月28日動員下令、8月に宇品を出港し、釜山上陸。朝鮮半島を北進し北京、石頭嶺、万里の長城線内に沿って展開し太原占領する。
昭和13年に入り、山東省青島に駐留後、徐州作戦に参加する。徐州攻略後は付近の警備に当り、以後は青島に戻る。
昭和14年は北支に向かうが、10月からは南支へ。南寧付近の戦闘に参加する。
昭和15年9月に仏印国境を越えて12月まで駐留し、上海に帰還する。
昭和16年は上海付近の警備と訓練を行い、太平洋戦争勃発でマレー上陸、マレー攻略戦に参加。17年2月にシンガポールを陥落させる。その後、クワラルンプール付近にあるセレンバンに駐留し、18年1月ジャワ、マランに転進、さらに4月にはニューギニア島ケワクに転進、ケイ及びアル初頭の警備に当った。
昭和20年シンガポールへ転進の途中で終戦を迎えた。
(わが連隊:ノーベル書房から抜粋)

以上の様に、栄えある歴史を持つ歩兵第11連隊であるが、原爆により兵営は壊滅し、残っている遺構はほとんど無い。

歩11 (4)
門柱の詳細は不明だが、形状から正門では無く、通用門ではなかろうか?

歩11 (2)
正面から見る。移駐された物だろう。

歩11 (3)
門柱のアップ もちろんこの表札は戦後の物だろう。

歩11
歩兵第11連隊跡の碑

歩兵第11連隊門柱の場所はこちら
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神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、セロリをこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く異様に静電気を恐れる正統派変人です。

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