輜重兵第9連隊
金沢市平和町には、かつて輜重兵第9連隊の兵営があった。
連隊は明治30年に大隊として名古屋で編成され、金沢に移駐、新設第9師団に所属した。
日露戦争では、第3軍に属し旅順攻略戦、奉天会戦等、主要な戦闘に参加した。
その後、昭和7年の上海事変と昭和10年からの師団満州派遣には、それぞれ1個中隊が出動した。
昭和11年、大隊は連隊に昇格し、翌年から始まった日中戦争には、上海戦を皮切りに南京戦、徐州戦、武漢戦に参加した。
昭和15年、師団と共に満州に移駐した。戦争末期の昭和19年6月に沖縄へ転用されたが、同年末には台湾に転用され、同地で終戦を迎えた。
兵営跡は住宅地になっており、遺構はほとんど無いと思われるが、平和神社には営内にあったと思われる輜勲神社の石柱と馬魂碑が残されている。
(日本陸軍兵科連隊、新人物往来社より抜粋)

境内にある、輜勲神社の石柱 神社からは、後に作り直されている。

裏面には、昭和11年と書かれている。

馬魂碑 陸軍中将 蓮沼 蕃書と書かれている。蓮沼中将は昭和11年12月から翌年8月までの師団長である。

陸上自衛隊金沢駐屯地内に移設されている、記念碑記
碑文を読むと、昭和12年7月7日、盧溝橋事件を契機として支那事変の勃発・・・吾が輜重兵第9連隊も亦参戦の栄を荷う・・・とある様に、日中戦争参加の記念碑であろう。昭和14年11月建立
平和神社の場所はこちら
連隊は明治30年に大隊として名古屋で編成され、金沢に移駐、新設第9師団に所属した。
日露戦争では、第3軍に属し旅順攻略戦、奉天会戦等、主要な戦闘に参加した。
その後、昭和7年の上海事変と昭和10年からの師団満州派遣には、それぞれ1個中隊が出動した。
昭和11年、大隊は連隊に昇格し、翌年から始まった日中戦争には、上海戦を皮切りに南京戦、徐州戦、武漢戦に参加した。
昭和15年、師団と共に満州に移駐した。戦争末期の昭和19年6月に沖縄へ転用されたが、同年末には台湾に転用され、同地で終戦を迎えた。
兵営跡は住宅地になっており、遺構はほとんど無いと思われるが、平和神社には営内にあったと思われる輜勲神社の石柱と馬魂碑が残されている。
(日本陸軍兵科連隊、新人物往来社より抜粋)

境内にある、輜勲神社の石柱 神社からは、後に作り直されている。

裏面には、昭和11年と書かれている。

馬魂碑 陸軍中将 蓮沼 蕃書と書かれている。蓮沼中将は昭和11年12月から翌年8月までの師団長である。

陸上自衛隊金沢駐屯地内に移設されている、記念碑記
碑文を読むと、昭和12年7月7日、盧溝橋事件を契機として支那事変の勃発・・・吾が輜重兵第9連隊も亦参戦の栄を荷う・・・とある様に、日中戦争参加の記念碑であろう。昭和14年11月建立
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