青森(幸畑)陸軍墓地 その3

陸軍墓地入口から見て右側(北西側)には、連隊創設からの墓石が残っている。
ただ、隣接する雪中行軍遭難者墓地に比べると、墓地の状態は良くないが、雪中行軍遭難者の墓と違い遺骨が納められているので、改修のために掘り起こせないと言っていた。

幸畑陸軍墓地案内図
この図では、右上部分になる。図の下側から、反時計回りで紹介する。
また、今回は公共交通機関(バス)で訪れたために、帰りのバスの時間が迫っており、詳しく見る事が出来なかった・・・

青森陸軍墓地その3 (10)
都路号塚と驥心之塚
共に軍馬の名前だと推測するも、驥(き)には、「一日に千里を走ることのできる良馬」との意味があるために、軍馬を総じている可能性もある。

青森陸軍墓地その3 (17)
入口向かって右奥の個人墓 説明板には日清日露合同葬墓となっているが・・・

青森陸軍墓地その3 (4)
墓石のアップ かなり状態が悪いが、この下には遺骨が入っている。

青森陸軍墓地その3 (21)
陸軍軍人合葬之墓 明治19年8月建立

青森陸軍墓地その3 (23)
陸軍々人合葬之墓 こちらは明治33年3月建立
 
青森陸軍墓地その3 (20)
やはり古参連隊だけあって、生兵の墓があった。

青森陸軍墓地その3 (18)
墓碑に、歩兵第5連隊第2大隊第2中隊と書かれている墓石

青森陸軍墓地その3 (19)
明治10年没と、全国の陸軍墓地にある個人墓の中でも、最古参に入るだろう。

青森陸軍墓地その3 (22)
こちらも、同じ墓碑であるが

青森陸軍墓地その3 (2)
左側面には、岩手県徴兵と書かれている。

青森陸軍墓地その3 (6)
こちらの墓石は、

青森陸軍墓地その3 (8)
日露戦争中の明治38年2月に亡くなっている。
全部は確認できなかったが、日清日露戦争中に亡くなった墓石はほとんど無かった。
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プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、セロリをこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く異様に静電気を恐れる正統派変人です。

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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