舞鶴重砲兵連隊門柱

まず初めに
旧軍港や重要港には、それを防御する砲台が備えられていた。
舞鶴をはじめ、横須賀や佐世保は、海軍の街のイメージが強いが、要塞司令部や重砲兵連隊があり陸軍の将兵も多かった。「舞鶴要塞Ⅰ」(近代築城遺跡研究会刊行)を参考にすると、舞鶴は明治19年に鎮守府予定地に決定し、24年に裁可されたが、建設実行前に日清戦争が勃発、その結果を踏まえて計画が改正された。
明治30年、築城部舞鶴支部が設置され、葦谷砲台起工、31年には浦入、金岬、槙山の各砲台が起工し、翌32年には浦入と葦谷砲台が完成し、建部山堡塁砲台が起工された。明治33年には舞鶴要塞司令部が新設され、吉坂堡塁が起工し、明治35年までにすべての砲台、堡塁が完成した。

その砲台であるが、明治期の大砲は射程が短く、どうしても港湾の最狭部に砲台を設置する必要があった。
有名どころでは、東京湾要塞や由良要塞、広島湾要塞等がある。その中でも、比較的近距離に配置されている舞鶴要塞は、巡りやすくお勧めだが、もちろん一日では巡れない。
すべての砲台を訪ねたかったが、時間の都合上、槙山、金岬(かねがさき)、建部山、吉坂(福井県)の4砲台(堡塁)しか行けなかった。
訪ねた砲台は土地開発にも遭わず、オリジナル性は高いが、状態はすべて悪い。
今回、舞鶴要塞の砲台を巡った時期は、3月下旬で朝夕の冷え込みは厳しい時期に行ったが、各砲台は藪が凄く、早春でこの状態なら、夏場は大変な事になるだろう。また、マムシも多く、熊もいるようなので、夏場の訪問は避ける方が良いだろう。

最初に紹介するのは、昨年の9月に訪問した舞鶴重砲兵連隊門柱である。
海軍施設に近い東舞鶴ではなく、西舞鶴駅近くの上安久にある日星高校と舞鶴聖母幼稚園の門は、舞鶴重砲兵連隊門柱が使われている。
同連隊は、舞鶴要塞砲兵大隊として創設され、明治31年、ここに移転し、明治40年、舞鶴重砲兵大隊と改称した。その後、昭和11年に舞鶴重砲兵連隊に昇格した。(舞鶴の近代化遺産から抜粋)

舞鶴重砲兵連隊
営門の全景。

舞鶴重砲兵連隊 (3)
門柱のアップ。いつ、モルタル造りとなったのかは分からないが、内部はレンガであろう。

舞鶴重砲兵連隊 (2)
左の門柱には、袖門があり通用口となっている。

舞鶴重砲兵連隊 (4)
門柱と境界塀の一部が残っている。

舞鶴重砲兵連隊 (5)
これが本来の境界塀の姿である。

舞鶴重砲兵連隊 (6)
敷地の西には通用門と思われる門柱が残っている。

舞鶴重砲兵連隊 (8)
門柱のアップ。多くの営門で見られる形のレンガ造りであり、当時の標準的な門柱だと思われる。

舞鶴重砲兵連隊 (7)
舞鶴税務署の敷地内にある、舞鶴要塞司令部跡の碑

舞鶴重砲兵連隊門柱の場所はこちら
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プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とナマコ酢と、焼き魚(特に、タチウオ、エボダイ、ニシン)をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める、正統派の変人です。


紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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