舞鶴海軍兵器廠魚雷庫
京都北部の都市 舞鶴は軍港として栄え、横須賀、呉、佐世保と並び鎮守府が置かれていた事は御存じであろう。
舞鶴鎮守府は他の鎮守府から遅れる事、十数年経った明治34年に開庁した。
初代鎮守府長官が東郷平八郎だったことでも有名である。
その舞鶴鎮守府も、大正11年にワシントン軍縮条約の影響を受け要港部に格下げとなるが、昭和14年に再び鎮守府に格上げとなる。
この舞鶴であるが、鎮守府開庁に伴い建設されたレンガ倉庫が多く残り、町興しの観光資源として利用されている。
舞鶴には港湾設備の海軍遺構と、その港湾を防御する陸軍遺構が共に多く残っている。
まず最初に紹介するのは、舞鶴市の観光施設である舞鶴市立赤れんが博物館で、舞鶴海軍兵器廠魚雷庫を使っている。
この建物は、明治36年に竣工した、鉄筋煉瓦造り2階建てであり、国の重要文化財に指定されていて、特徴としては、
1.リベット接合と圧延鋼材を用いた本格的鉄骨構造建築としては、我が国最古の物の1つである。
2.カーネギー社製の鋼材を用いている。
3.フランス積である。
4.レンガ壁が耐力壁ではなく、非耐力壁である。(現在の高層建築と類似している。)
などがある。
特にフランス積の建物は珍しく、海軍の建物として他には、海軍兵学校水交館しか把握していない。
この赤れんが博物館では、舞鶴の赤煉瓦建造物マップを無料配布している。これは非常に役立つので、舞鶴に来たら、まずは赤れんが博物館に来る事をお勧めする。また、舞鶴の説明は、「舞鶴の赤煉瓦建造物マップ」を主に参照とする。

舞鶴海軍兵器廠魚雷庫 赤れんが博物館となっているので行き着かない事はないだろう。

反対の北側から見る。

全景

珍しいフランス積みである事がお判りであろう。

天井の鉄骨トラス 当時の建設技術を知る資料になっている。

佐世保から寄贈された、海軍施設のレンガ塊も展示されている。

付近に、消火栓があったので

とりあえず確認してみたら、海軍の消火栓だった!
元々ここにあったのか、移設したのかは不明だが、何の説明もないので、気付く人は少ないだろう。

道路を挟んだ夕潮台公園には、地下壕の入口がある。
舞鶴鎮守府は他の鎮守府から遅れる事、十数年経った明治34年に開庁した。
初代鎮守府長官が東郷平八郎だったことでも有名である。
その舞鶴鎮守府も、大正11年にワシントン軍縮条約の影響を受け要港部に格下げとなるが、昭和14年に再び鎮守府に格上げとなる。
この舞鶴であるが、鎮守府開庁に伴い建設されたレンガ倉庫が多く残り、町興しの観光資源として利用されている。
舞鶴には港湾設備の海軍遺構と、その港湾を防御する陸軍遺構が共に多く残っている。
まず最初に紹介するのは、舞鶴市の観光施設である舞鶴市立赤れんが博物館で、舞鶴海軍兵器廠魚雷庫を使っている。
この建物は、明治36年に竣工した、鉄筋煉瓦造り2階建てであり、国の重要文化財に指定されていて、特徴としては、
1.リベット接合と圧延鋼材を用いた本格的鉄骨構造建築としては、我が国最古の物の1つである。
2.カーネギー社製の鋼材を用いている。
3.フランス積である。
4.レンガ壁が耐力壁ではなく、非耐力壁である。(現在の高層建築と類似している。)
などがある。
特にフランス積の建物は珍しく、海軍の建物として他には、海軍兵学校水交館しか把握していない。
この赤れんが博物館では、舞鶴の赤煉瓦建造物マップを無料配布している。これは非常に役立つので、舞鶴に来たら、まずは赤れんが博物館に来る事をお勧めする。また、舞鶴の説明は、「舞鶴の赤煉瓦建造物マップ」を主に参照とする。

舞鶴海軍兵器廠魚雷庫 赤れんが博物館となっているので行き着かない事はないだろう。

反対の北側から見る。

全景

珍しいフランス積みである事がお判りであろう。

天井の鉄骨トラス 当時の建設技術を知る資料になっている。

佐世保から寄贈された、海軍施設のレンガ塊も展示されている。

付近に、消火栓があったので

とりあえず確認してみたら、海軍の消火栓だった!
元々ここにあったのか、移設したのかは不明だが、何の説明もないので、気付く人は少ないだろう。

道路を挟んだ夕潮台公園には、地下壕の入口がある。
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