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歩兵第44連隊 

JR土讃線朝倉駅の南に位置する、高知大学のキャンパスは、かつて、歩兵第44連隊の兵営で有った。
歩兵第44連隊は、第11師団新設のために創設された連隊で、明治31年3月に軍旗を拝受した。
日露戦争では、旅順攻略戦に参加し、多大な被害を受けた。
大正期にはシベリア出兵に参加。
日中戦争では上海方面の作戦に従事、昭和14年には満州東部に駐劄、以後、現地での警備任務に就く。
昭和20年4月、本土防衛のために四国へ転用され、高知において本土決戦の準備にかかるが、敵と会戦前に終戦を迎える。
多くの部隊が、南方や大陸で玉砕する中、わが郷土で戦火を交えることなく終戦を迎えた、幸運な連隊である。

歩44 (4)キャンパスの北東には、当時の境界塀と思われる古い塀が残っている。

歩44 (3)内側から見る。

歩44 (5)古くから住む人の話では、この庭園も連隊当時の物らしい。将校集会所の庭園か?

歩44
軍人勅諭御下賜50周年を記念して、営門南方に建立した記念碑。しかし、終戦後にはその場に、放置埋没されていたのを、昭和33年に陸軍墓地に移設した。

歩44 (2)
碑のアップ。軍人勅諭の5ヶ条が彫られている。

歩44 (6)キャンパス内に残るセンダンの大木。キャンパス内には何本かのセンダンの大木が残っており、これらは連隊当時から有った物らしい。

歩44 (7)高知大学に隣接する一角には、弾薬庫と言われる建物が残っている。

歩44 (8)現在、この建物は使われておらず、保存運動があるようだが、場合によっては近年に取り壊されたしまう可能性もある。

高知陸軍病院また、兵営の南方に陸軍病院が有った。この橋は詳細不明だが、欄干に赤十字が飾られている。それなりに古いので、陸軍病院の物かもしれない。

歩兵第44連隊弾薬庫の場所はこちら
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kan

Author:kan
酒とナマコ酢と、ミル貝刺をこよなく愛し、全国の旧軍遺構を訪ね歩く、自他共に認める正統派の変人です。
変人ですが、「変態!」と言われると烈火の如く怒ります。
腰はガラスの腰と言われ、定期的に壊れます!

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
基本、酒を飲んでブログを書いてます。誤字や文章がおかしい時は、かなり酔っていると思ってください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物や、すでに消失している物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
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