奈良連隊 加筆編集しました。

以前に紹介した奈良連隊の記事であるが、再訪した事と以前の内容に誤りが有ったので、編集させていただく。

奈良教育大学のある奈良市高畑町はかつて、陸軍奈良連隊の衛戍地であった。
奈良には、日露戦争後の軍拡により明治42年(1909年)に歩兵第53連隊が移転して来て奈良連隊が誕生した。
しかし、大正14年軍縮により、53連隊が廃止され京都から歩兵第38連隊が移駐した。
歩兵第38連隊が動員された後、昭和16年に戦時編成の歩兵第153連隊が置かれたが、同連隊が出征後、岐阜陸軍航空整備学校奈良教育隊が開設され、その後、奈良航空教育隊に改編され終戦を迎えた。
奈良連隊創設から終戦までの36年間に駐屯した将兵は、約7万人にのぼる。
今回のレポートには別冊歴史読本旧軍史跡と奈良県立図書情報館奈良聯隊建物配置概図を参考にした。

奈良 (9)
奈良連隊区司令部跡地に建つ、奈良連隊跡記念碑奈良は初め大津連隊区だったが、京都伏見の深草、そして奈良連隊区に変わった。

奈良 (7)
糧秣庫
現在は奈良教育大学術情報研究センター教育資料館として使われている。

奈良 (8)
糧秣庫を反対側から見る。

奈良
学術情報研究センター教育資料館入口の床には境界石が置かれている。

奈良 (4)
謎の建物
見た感じでは、戦争末期の物では?と感じたが詳細不明。
奈良聯隊建物配置概図ではボイラー室があった場所だが、大きさ的に違う様だ。

奈良 (11)
北門、出入り業者等が使用した通用門らしい。

奈良 (5)
付属小学校の北側には、謎のレンガ遺構が残っている。
写真では判り難いが、この遺構は基本的なイギリス積では無い。
衛戍地の外周の土塁付近にあるので、関連遺構だと思うが、これが何なのか見当がつかない。

奈良 (12)
将校集会所跡地に残る石積み。

奈良 (2)
将校集会所庭園の泉水跡。池の跡が残っている。

奈良 (3)
こちらもなぞの建物。奈良聯隊建物配置概図では衛兵所跡地にある。

奈良 (6)
弾薬庫 大きさから言っても射撃訓練用の弾薬庫だったと思われる。
見てのとおり傷みが激しい。取り壊しになるのも時間の問題か?

奈良連隊兵営の周りには、用水路が残っており当時の物と思われる石積みもある。

奈良陸軍病院
さらに、隣接していた奈良陸軍病院の跡地には、門柱が残っている。
大日本者神國也さんを、参考にさせていただきました。)

奈良陸軍病院 (2)付近には、壊された対の門柱の残骸と思われるレンガの破片が有った。

奈良連隊糧秣庫の場所はこちら
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プロフィール

神崎 伸介

Author:神崎 伸介
酒とミル貝刺と、手羽先をこよなく愛し、日々全国の旧軍遺構を訪ね歩く自他共に認める変わり者です。
最近は暇があれば、YouTubeで河合奈保子の動画を観ています。奈保子ちゃん本当に可愛いです!

紹介する遺構の説明は正確を心がけてますが、間違いや情報があれば、是非とも教えてください。
また、ここで紹介する遺構は訪ねてから紹介するまでに、時間が経っている物も有り、必ずしも現状で無い場合がありますのでご注意ください。
本ブログに掲載されている写真の無断使用は禁止します。

Twitter始めました。@Kanreport0726

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