富山陸軍墓地
富山市長岡墓地は元々陸軍墓地があった場所であり、忠霊塔や合葬碑が残っている。
富山の市街地は終戦の2週間前に行われた、富山大空襲で市街地は壊滅したために遺構はほとんど残っておらず、富山市に残る貴重な遺構である。
明治41年、富山に歩兵第69連隊が創設されたとき、この地に陸軍墓地が作られた。
現在、個人墓はなく忠霊塔と合葬碑が残っている。
忠霊塔、合葬碑の全景 忠霊塔を含めて4つの合葬碑がある。

正面向かって右にある、上海事件陣歿者合葬碑 昭和7年12月建立

右から2つ目の、満州事変陣歿者合葬碑 昭和12年5月建立

3つ目は、忠霊塔 昭和16年10月建立 日中戦争以降の戦没者を合葬している。

忠霊塔前の燈篭 星や鐙と思われる模様がある。

一番左は、陣歿者病死者合祀碑。これは大正14年5月に歩兵第35連隊が、金沢から富山に転営したため、
金沢陸軍墓地に合葬されていた分骨を、こちらに移したもので昭和8年9月建立
(説明は、案内板から抜粋転記)
富山陸軍墓地の場所はこちら
富山の市街地は終戦の2週間前に行われた、富山大空襲で市街地は壊滅したために遺構はほとんど残っておらず、富山市に残る貴重な遺構である。
明治41年、富山に歩兵第69連隊が創設されたとき、この地に陸軍墓地が作られた。
現在、個人墓はなく忠霊塔と合葬碑が残っている。


正面向かって右にある、上海事件陣歿者合葬碑 昭和7年12月建立

右から2つ目の、満州事変陣歿者合葬碑 昭和12年5月建立

3つ目は、忠霊塔 昭和16年10月建立 日中戦争以降の戦没者を合葬している。

忠霊塔前の燈篭 星や鐙と思われる模様がある。

一番左は、陣歿者病死者合祀碑。これは大正14年5月に歩兵第35連隊が、金沢から富山に転営したため、
金沢陸軍墓地に合葬されていた分骨を、こちらに移したもので昭和8年9月建立
(説明は、案内板から抜粋転記)
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