騎兵第24連隊 祖父の話
先日のレポートにも書いたが、私の祖父は昭和9年11月に、騎兵第24連隊第2中隊に入営した。
その祖父も20年前に他界した。
現在、唯一残っている(と思われる)軍隊時代の写真。後ろに写っているのが覆馬場だと思われる。

当時の写真と比較していただきたい。(但し、写真に写っている覆馬場が、現存する物かは不明)
このブログの趣旨とは、かけ離れてしまうが、生前に祖父から聞いた軍隊生活の話を紹介しようと思う。
なにぶん、四半世紀以上前に聞いた話なので、記憶違いや認識違いがあり、話に矛盾があるかもしれないが、ご勘弁いただきたい。
1.新米騎兵の悩み
騎兵の軍服は、乗馬ズボンに乗馬ブーツ、騎兵刀(短いサーベル)を吊る。それは、将校の軍服と一緒である。当時は外出するのも軍服なので、他科の古参兵や下士官などが将校と思って、敬礼してくるそうだ。もちろん、こっちが下級者だと判ると、とばっちりを受けるので、先に敬礼するか、その前に逃げるそうだ。
また、その騎兵刀だが、刀は短いとは言え、やはり重たくて、振り回すのは訓練が必要らしく、刀を振り下ろすと、重さの勢いで、馬の右後ろのお尻付近に当たり、馬を刀で傷付ける兵も居た様だ。(この話は、御尊父様が騎兵だった方から伺った)
2.偶然に
(新兵教育の時だろうか?)ある朝、明け方に目が覚めたので、外を見ると、当直将校とラッパ兵が本部庁舎に小走りで向かうのが見えた。
これは何かあると思い、仲間に声を掛けて準備をしていると、程なくして緊急起床がかかった。祖父の小隊(班?)は待ちかまえていたので、すぐに整列完了。しかし、他の小隊はしばらく掛かった。
それを知った小隊長(班長?)は大喜び、しばらくは楽しく平穏な隊内生活が出来たとか。
3.弾は前からだけではない
多分、入隊したすぐの話だろう。上官(教官?)に言われた言葉。「いいか、弾は前から飛んでくるだけではないぞ。後ろからも来るんだからな!」
これは、仲間に恨みを買うと、戦闘中のどさくさに紛れて仲間から撃たれるぞ!と忠告しているのである。
実際、いつも制裁を加えていた古参兵や下士官が、戦地に出動すると決まったら、急に優しくなった、おとなしくなった、の記述を目にした事もある。
4.スッポン三昧
満州に進出した時、兵営の近くに大きな川があったらしい。(松花江と思われる。)そこにはスッポンが沢山いて、朝、釣り針を仕掛けておいて夕方上げると、必ずスッポンが掛かっていた。それで毎日宴会したらしい。
5.飛行機の暖機
冬の満州は極寒だ。不寝番の任務に、飛行機の暖機があるらしい。何故、騎兵が飛行場にいるのかは、聞き忘れたが、暖機は、エンジンの下で焚き火をするらしい。マニュアルには、潤滑油がポタポタと落ちてくる程度(じんわり滲んでくる程度だっかかな?)となっていたが、素人には判らない。そのうち、飛行機を燃やしてしまう事故が起きて、整備兵以外やらなくなったそうだ。
6.忘れられない一言
祖父の軍隊時代のアルバムを見せて貰った事がある。騎兵らしく、馬をクレーンで輸送船に積む写真や、騎兵のみならず、馬にも防毒マスクを付けている写真があった。
その中に、写真館で撮った写真があり、「昭和○○年、ソ満国境にて」と書かれていて、3人で写っていた。
それを見た時に祖父が、「こいつら何やってるのかなー、この当時、死ぬ時は絶対3人で一緒に死のう。と約束していたけど、今となっては生きているかも判らない」と呟いた。
最後に、
軍馬は戦闘になると、首を曲げ頭を隠す様に寝ころび、それを遮蔽物にして騎兵は敵と応戦するそうで、
「映画で出てくる様な、ピュン、ピュンという弾の音は流れ弾で怖くない!ところが、ビシ、ビシと聞こえてくると、まずいなと感じ、バッシッ、バッシッと聞こえてくると、狙われているので、急いで退却した」と言っていた。 戦闘が終わると、乗る馬がいない騎兵や、乗せる騎兵がいない馬がいたりしたとか。
その祖父も20年前に他界した。


当時の写真と比較していただきたい。(但し、写真に写っている覆馬場が、現存する物かは不明)
このブログの趣旨とは、かけ離れてしまうが、生前に祖父から聞いた軍隊生活の話を紹介しようと思う。
なにぶん、四半世紀以上前に聞いた話なので、記憶違いや認識違いがあり、話に矛盾があるかもしれないが、ご勘弁いただきたい。
1.新米騎兵の悩み
騎兵の軍服は、乗馬ズボンに乗馬ブーツ、騎兵刀(短いサーベル)を吊る。それは、将校の軍服と一緒である。当時は外出するのも軍服なので、他科の古参兵や下士官などが将校と思って、敬礼してくるそうだ。もちろん、こっちが下級者だと判ると、とばっちりを受けるので、先に敬礼するか、その前に逃げるそうだ。
また、その騎兵刀だが、刀は短いとは言え、やはり重たくて、振り回すのは訓練が必要らしく、刀を振り下ろすと、重さの勢いで、馬の右後ろのお尻付近に当たり、馬を刀で傷付ける兵も居た様だ。(この話は、御尊父様が騎兵だった方から伺った)
2.偶然に
(新兵教育の時だろうか?)ある朝、明け方に目が覚めたので、外を見ると、当直将校とラッパ兵が本部庁舎に小走りで向かうのが見えた。
これは何かあると思い、仲間に声を掛けて準備をしていると、程なくして緊急起床がかかった。祖父の小隊(班?)は待ちかまえていたので、すぐに整列完了。しかし、他の小隊はしばらく掛かった。
それを知った小隊長(班長?)は大喜び、しばらくは楽しく平穏な隊内生活が出来たとか。
3.弾は前からだけではない
多分、入隊したすぐの話だろう。上官(教官?)に言われた言葉。「いいか、弾は前から飛んでくるだけではないぞ。後ろからも来るんだからな!」
これは、仲間に恨みを買うと、戦闘中のどさくさに紛れて仲間から撃たれるぞ!と忠告しているのである。
実際、いつも制裁を加えていた古参兵や下士官が、戦地に出動すると決まったら、急に優しくなった、おとなしくなった、の記述を目にした事もある。
4.スッポン三昧
満州に進出した時、兵営の近くに大きな川があったらしい。(松花江と思われる。)そこにはスッポンが沢山いて、朝、釣り針を仕掛けておいて夕方上げると、必ずスッポンが掛かっていた。それで毎日宴会したらしい。
5.飛行機の暖機
冬の満州は極寒だ。不寝番の任務に、飛行機の暖機があるらしい。何故、騎兵が飛行場にいるのかは、聞き忘れたが、暖機は、エンジンの下で焚き火をするらしい。マニュアルには、潤滑油がポタポタと落ちてくる程度(じんわり滲んでくる程度だっかかな?)となっていたが、素人には判らない。そのうち、飛行機を燃やしてしまう事故が起きて、整備兵以外やらなくなったそうだ。
6.忘れられない一言
祖父の軍隊時代のアルバムを見せて貰った事がある。騎兵らしく、馬をクレーンで輸送船に積む写真や、騎兵のみならず、馬にも防毒マスクを付けている写真があった。
その中に、写真館で撮った写真があり、「昭和○○年、ソ満国境にて」と書かれていて、3人で写っていた。
それを見た時に祖父が、「こいつら何やってるのかなー、この当時、死ぬ時は絶対3人で一緒に死のう。と約束していたけど、今となっては生きているかも判らない」と呟いた。
最後に、
軍馬は戦闘になると、首を曲げ頭を隠す様に寝ころび、それを遮蔽物にして騎兵は敵と応戦するそうで、
「映画で出てくる様な、ピュン、ピュンという弾の音は流れ弾で怖くない!ところが、ビシ、ビシと聞こえてくると、まずいなと感じ、バッシッ、バッシッと聞こえてくると、狙われているので、急いで退却した」と言っていた。 戦闘が終わると、乗る馬がいない騎兵や、乗せる騎兵がいない馬がいたりしたとか。
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