静岡陸軍墓地 その2
静岡陸軍墓地には、いくつかの個人墓が残っている。
個人墓のある一角
こちらは、一つだけ離れてある、ドイツ人水兵と言われる墓。詳細は不明だが、第1次世界大戦で捕虜になった人の物であろう。

個人墓区画入口に有る碑。一部、損傷していて読めないが、首山堡戦で戦死した関谷連隊長を顕彰して、
昭和4年8月31日に像を建立した時の物のようだ。
下士官兵の個人墓。数も少なく、日露戦争以前の死亡者の物であった。
将校の個人墓。主に尉官の物であり、全員のを確認していないが、首山堡戦や奉天戦での戦死者の物があった。いくつかの陸軍墓地を見てきたが、日露戦争で戦死した人の個人墓は珍しく、多くは合葬碑となっている。
こちらは佐官の個人墓。真ん中は連隊長であった関谷大佐であり、その他も大隊長、中隊長クラスのものだと思われる。

首山堡で戦死した連隊長 関谷大佐の墓

第1大隊長であった橘中佐の墓。
さて、先にも述べたように、日露戦争での戦死者の個人墓が陸軍墓地に有るのは、稀なケースだと思う。
静岡陸軍墓地には何故、日露戦争戦没者の合葬碑があるのに、個人墓があるのだろうか?
これは推察なのだが、橘中佐の個人墓を残したかったのではないだろうか?
日露戦争で誕生した陸軍の軍神 橘中佐の名を合葬碑にではなく、個人の墓として残したかったが、1人だけ特別扱いする訳にはいかず、かといって全員の個人墓は作れないので、将校のみを個人墓としたのではないかと考える。



個人墓区画入口に有る碑。一部、損傷していて読めないが、首山堡戦で戦死した関谷連隊長を顕彰して、
昭和4年8月31日に像を建立した時の物のようだ。




首山堡で戦死した連隊長 関谷大佐の墓

第1大隊長であった橘中佐の墓。
さて、先にも述べたように、日露戦争での戦死者の個人墓が陸軍墓地に有るのは、稀なケースだと思う。
静岡陸軍墓地には何故、日露戦争戦没者の合葬碑があるのに、個人墓があるのだろうか?
これは推察なのだが、橘中佐の個人墓を残したかったのではないだろうか?
日露戦争で誕生した陸軍の軍神 橘中佐の名を合葬碑にではなく、個人の墓として残したかったが、1人だけ特別扱いする訳にはいかず、かといって全員の個人墓は作れないので、将校のみを個人墓としたのではないかと考える。
スポンサーサイト